大切なものほど、目には見えない??

"人生には「大切なもの」と「そうでないもの」がある。
そして、「大切なもの」ほど目には見えない。
例えば「心」もそうだし、「努力」もそうだ。”

こういう内容の文章をどこかで見ました。
うんうん、と読んだものの、どこかに違和感が……。

そういう時に「まぁいいか」と流してしまうことも多いこの頃でしたが、辞めることにしました。

「まぁいいか」という姿勢は、人間関係を円滑にしてくれることもあるし、自分の心を楽にしてくれることもあります。
でも、多用すると「自分の感覚」を鈍らせてしまうと思うんです。

「まぁいいか」って流す ≒ 「それは重要じゃない」

これが繰り返されていくうちに、「違和感」も重要じゃないものになっていきますからね。

そのうちに「自分」を失ってしまうんじゃないかと思うんですよ。

それで、冒頭の文章の何に私は違和感を覚えたのか、立ち止まって感じてみることにしました。


"人生には「大切なもの」と「そうでないもの」がある。

そうだよなぁ。私もそう思う。
と、ここは違和感なし。

そして、「大切なもの」ほど目には見えない。

ん? 見えないものは「大切なもの」ほど、か?
どうでもいいものの方が、目に入ってないぞ。

例えば「心」もそうだし、「努力」もそうだ。”

いや、心は見えるし、努力も見えるじゃないか。


と、こんな感じで違和感の正体が見えました。

元の文章を書いた方が間違っているわけではありません。
そもそも、私はその方の伝えたいことを、正しく理解しているかどうかも怪しい。

けれど、自分はこう感じている、こう考えている、と自覚するのは重要だと思うんですよね。

なんとなく他人の思考を受け入れて、自分の中で「プログラム」化されてしまうと、違う人間として存在し合う面白みが減っていく気がして。

大切なものほど見えない現実もあれば、大切なものがちゃんと見える現実もある。
そこに優劣もなくて、ただ、様々な現実があることを常に意識しておきたいんですよね。

個性は他人にとってこそ、宝物。
「自分」はどう思うかを大切にし、可能な限り、何かの形でアウトプットしていこうと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?