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「私は冷たい人間かもしれない」と思った時に。

「自分は冷たい人間なのだろうか?」

何かの拍子に、そんな疑問が頭をよぎったことはありませんか?
そして、その問いの答えが「イエス」で、自分を責めたことはありませんか?

もしそうなら、あなたは実は「冷たい人」ではなく、他人の感情に敏感なだけかもしれません。

この話をすると、こんな質問を思い出します。

「私は、悪口や愚痴が嫌いです。聞いていると、自分が言われているような気になり、悩み相談もしんどく感じます。
だから、ネガティブなメッセージが多くなると、その人を避けがちです。
会社では極力、仕事以外の話をしないようにしています。
だけど、そのせいで『あいつは無関心だ』とか『冷たい』と言われてしまいました。
自分でも気づいていたので、なおさらショックでした。どうすればいいですか?」

この方は心が冷たいわけではなく、自分を守るために「無関心モード」を選んでいるのだと思います。

実際、この方は他人の話をきちんと聞いたり、共感したりすることができるはずです。むしろ、深く共感しすぎて、相手の痛みを自分のものとしてしまうことがあるのかもしれません。
大勢がいる場所では、他人の感情が混ざり合い、混乱することもあるかもしれません。

実は、私も同じタイプです。
ですから、以前は感性を鈍らせたり、無関心モードに切り替えたりしていました。

ヒーリングやコーチングを学んでからは、他の人の状態に影響されない方法を身につけましたが、それでも、時々「感受性オフ」にすることがあります。それが「冷たい印象」を与えることもあるようです。

ただ、そんな私であっても、深い関係を築ける人々がいます。

ですから、「私は冷たいのかな」と悩むよりは、好きな人のことや、やりたいことに、その時間を使っていいと思うんですよ。

本当に冷たければ、そのことを悩むこともないんじゃないでしょうか。


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