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現代の世界を生きている足の下には、何があるのかー40年前のアニメーションー白いキツネのおこんちゃんに泣いた夜

たった1日、夜の上映会。金曜日は朝から仕事で翌日も早番だからしんどいと言えばしんどかったが、どうしても見たくて出かけた。同じシアターキノで始まっているジョニー・デップの『MINAMATA』も見たかったが、それよりやっぱり人形アニメだ。川本喜八郎だ。もう一人の岡本忠成は、実は誰だか知らなかったが、大丈夫だ。だって人形アニメだし。それくらい、わたしは人形アニメが好きだから。

理由は、多分、テレビのNHKの人形劇を見て育ったからだろうと思う。遠い記憶の『ひょっこりひょうたん島』から始まって、『新八犬伝』

辻本ジュサブローの人形。

そして『三国志』川本喜八郎。忘れられない心に残る世界。

でもわたしはすっかり忘れてもいた。たまたま映画館でチラシを見た時、ぱっと心が動いて(これは絶対に見る)と思ったんだった。そして、そういう時の直感と衝動は、いつも間違いない。

第一部 川本喜八郎、『三国志』以前、70年代までの作品だが「今昔物語」からとった話や、能や歌舞伎で有名な「道成寺」といった日本の前近代の物語と、うってかわって安倍公房原作『詩人の生涯』戦後文学的題材もありながら、しかし通底した視線があるように感じた。

第二部 岡本忠成。本当に申し訳ないことに名前を存じ上げなかったが、映像を見たらすぐにわかった。やっぱりNHKの「みんなの歌」やそのほかテレビの子供向け番組などで、よく見ていたアニメの人だった。

作風は川本よりもバラエティに富み、子供むけの意識が高く、エンタメ寄りだが、宮沢賢治の『注文の多い料理店』は、制作半ばで遺作となり川本が後を継いで完成させたとのことで、作風がちょっとヨーロッパアニメ調に傾いて違っている。

それにしても、わたしが、衝撃的に感動したのは、一番最後に映された『おこんじょうるり』だった。1982年、教育映画祭児童劇・動画部門最優秀作品賞、キネマ旬報ベストテン文化映画部門第一位。そのほか多くの受賞とパンフレットに書かれてある。でも全く全然知らなかった。人形アニメ好きの看板は下ろさなければならない…。

言い訳させてもらうと82年、わたしは二十歳の時である。宝島やビックリハウスや広告批評やパンクやニューウエーブに夢中だった頃である。児童向けの人形アニメを知らなくても仕方なかった…ことにしてください。そしておそらくは、その二十歳の娘が、当時に見たとしても、なにも感じなかったに違いない…。

39年前、ほぼ40年前に高い評価を受けた、『おこんじょうるり』は、時代はずっと昔々、あるところに、イタコー口寄せの婆様がいましたから始まる。

年を取り、体も動かなくなった婆様は、神通力も失い、イタコの仕事もできず寝たきりでいるところに、白いキツネの子がやってきて、食べ物をあさりだす。婆様は、今までキツネなどを見たらいじめてきた罪滅ぼしだと、家中の食べ物をもっていけと差し出す。するとキツネの子は、「婆様のために唄う」と言ってカツラをかぶって変身し、じょうるりを奏でるとたちまち婆様は元気になって…。

神通力の失われたイタコの婆様とは、ただの単身で高齢の女であり、村の中で孤立する異端者である。散々祈りの仕事をさせておきながら無能となった彼女を村の誰も助けてはくれず、ただ弱るままやがて死ぬしかなかった。

そこへやってきた「白いキツネ」とは、「ごんぎつね」とはまた違う種類のキツネである。白いキツネは、通常神の使い、稲荷神社にいるものだが、果たして婆様の家にも神棚がある。べべんと琵琶を鳴らしながら、じょうるりを吟じる。〜あびらうんけんそわか〜と唄うんだけど、こちらはお経で、日本の「神仏」共暮らしの宗教らしい体がとられている。

見方によれば、白いキツネーおこんーと名付けられたの力は、失われた婆様の神通力であり、単身の老女が、村社会で生きるための術でもあった。おこんの唄うじょうるりは、病気の者を生き返らせ、不幸を予知して回避させ村人を助け、婆様の地位を復活させる。

婆様の古着の背中に入り込み、おこんは唄う。言うたら二人羽織の二人の道行はしかし、単に異界の化けギツネを世間から隠すための動作だっただろうか。

口寄せの婆様が、実態として生きた時代は、いつどのようだったのかわたしにはわからない。しかし1982年のことならば、実感として知っている。80年代の始まりは、大大衆消費社会が隅々まで行き届く、「以前の暮らし」を全部忘れ去るべく時代が動く時だった。以前の暮らしとは、もうすでにわたしたちが忘れてしまっているように思い出せない。消費以外の生活に意味と術があったらしき、以前の暮らしだ。40年前にすでに。

神通力を失った婆様は、ただの裸の人間だ。女で子どももおらず、何の力もない。婆様の下には誰もいない。その裸の背中に、おこんは、かぶさる。暖かいきつねの子の温もりが、婆様の命をつなぐ。

裸のにんげんは、自然の中におり、だからこそ自然の力とともにしか生きられないのだと。アニメーションが伝えるおこんと婆様の関係とは、そういうものではなかったか。

おこんの助けによって、婆様の名声は高まり、やがてお城の殿様のところにまで届く。病気の姫君を助けよと頼まれる。嫌な胸騒ぎがすると最初は行くのをしぶる婆様だったが、婆様が楽できるようにがんばりたい!と熱心にすすめるおこんに従い。お城へ向かう。見事、おこんのじょうるりは、姫を助け黄金の褒美をもらって二人は帰る道行で。

大判小判を見つけた馬喰に、婆様は殴られ、おこんは身をもって婆様を助ける。多くの人を助けたじょうるりの神通力は、おこんには効かない。お金のために、おこんは、滅ぼされる。婆様も死んでしまう。

原作の物語では、婆様が近所の子どもたちへじょうるりを教えていくという終わりを、岡本忠成は、あえてバッドエンドに変えているとパンフレットに書いてあった。1982年のリアルを作者は、この児童向けアニメーションに込めたのではなかったか。お金への欲望によって滅ぼされる、裸のにんげんと、自然の命へのー

本当に大切なものは何なのか。わたしたちがただ生きていくのに、大切な根本とは何なのか。婆様とおこんが、伝えるものは、二人の道行。裸のにんげんと自然の命が、手に手を取って。背負われるキツネと背負う婆様の身体の温もり。じょうるりを唄いながら、婆様の腕の中で息絶えていくおこんと抱きしめる婆様の間の体温ー

わたしたちを生かすものは、生かそうとしてくれる何かは、ただそれだけのことにあるーそう思えてならず、映画館の片隅で、わたしは涙を止められなかった。ただただ恋しかった。おこんちゃんが。その温もりが。


川本喜八郎作品も、日本の前近代の物語を描き、人形に命を与える。戦後社会の有り様に批判的批評的な目線は明らかで、40年前にはこういう表現は確かにあったのに、自分はすっかり忘れていたし、忘れさせられていたのか、忘れたふりをしていたのか。それにしても。今、蘇って「見なさい」とされるのは、やっぱり意味がある。

ネット右翼や大日本帝国礼賛のなんちゃって「日本の伝統」なんかとは全然違う。根本へ向けられた視線なのだ。わたしたちは、どこから来て、どこに向かい、どう生きていきたいのかー

おこんちゃんのじょうるりを、みんなに聞かせたい。

なんとnoteに、ありました。ぜひともご覧になってください。おこんちゃんの唄を聴いてください。










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