見出し画像

【水を縫う】自分に正直に流れていく

中学校へ進学する際「制服のスカートが嫌だ」と強い抵抗を示したことがある。
別に男の子になりたかったわけでも、スカートに苦い思い出があったわけでもない。単に好みの問題で、自分らしくないと思っただけだ。
母は頭ごなしに否定はしなかった。ただ一人だけ皆と違う格好をして通えるのか、と聞いてきた。女子用のズボンはないから男子のズボンを履くことになる、と本当かどうか怪しい理由も付け加えて。
私はふて腐れながらも、母が言うそれを選ぶ勇気もなく、結局「普通」に制服を着ることを選んだのだった。

▼「水を縫う」寺地はるな著


手芸好きの男子高生である清澄(きよすみ)と、可愛いものが苦手でフリフリのウエディングドレスが着たくない姉 水青(みお)。
好みや苦手なものが、ほんの少し「普通」と違っているだけ。痛いほど共感できる「普通」ではないと言われる一部分。そう一部分。

私が子どものころよりは、多様性を認める時代になりつつある昨今。それでも「男子なのに手芸」というだけで友だちができなかったりすることもあるのだろう。その清澄を軸に話は展開していく。

2人の母さつ子は、我が子に普通でいてほしいと願い、何かと「やめとき」が口癖。男女について「そういう前時代的な考えはほろんだほうがいいとすら思っている」一方で、もっと強く「普通でいてほしい」「浮いてほしくない」と思っている。だからさつ子自身も、職場では育児ママの話に自分の意見ではなく「わかるよ」と返す。

同居の祖母 文枝は言いたいことをのみ込んで、良き理解者として生きてきた。今の時代は男女なんて関係ないと思っていて孫にも理解を示す。なのにふとした弾みで使ってしまうのだ。「女の子なのに」という言葉を。頭では理解していても、長きにわたって植え付けられたもの。亡き夫に言われた一言がトラウマとなって好きなことを74歳になっても言い出せずにいる。もう年だからと。

男らしく、女らしく、親らしく、妻らしく…。学生らしく、あるいは社長らしく。世間には数えきれないほどの社会的枠組みがある。
それを否定するつもりはない。自覚や誇りを表すための言葉でもあると思うから。ただ、それに惑わされたくもない。言葉はいつでも表裏一体だ。

物語は、離婚し別々に暮らす良い父になれなかった全(ぜん)と、その家族を見守る友人で縫製会社を経営する黒田も関わりつつ、水青のウエディングドレスを製作するまでを描く。

ひとつの章ごとに話し手が変わり、それぞれの思いが伝わってくる構成。皆、傷ついた過去と葛藤しつつも 小さな祖語に違和感を感じ、自分らしくあろうと静かに一歩踏み出していく。
それを周りの誰かが、当たり前に「普通」に受け入れてくれることに安堵する。

勇気を出してさらけだした世界はきっと澄んで優しい。信じてみて。そんなメッセージを感じた。
そして、タイトルの意味を理解したときに、温かい涙が頬を伝う。

ありのままの自分と 透明な水の流れを想い、
自らを解放させたような読後感の中で思った。
流されるのではなく 流れていこう、と。

📖

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?