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飛行機と、空港という場所

1月の仙台ひとり旅(遠征含む)、そして先月の千友との遠征に続き、今年に入り3回目の空の旅は娘とともに。

最近 飛行機旅が増えている。
1年以内で考えると、昨年10月と、そして夏休みも使った。

以前は飛行機のランディングが苦手でいつも緊張していた。宙に浮いている、というただ単純な不安も拭えなかった。なので、どちらかというと乗りたくない乗り物だったのだけれど、慣れるとなんてことはない。緊張どころか今では眠ってしまうこともあるくらい。そのおかげで随分気軽に飛行機旅を選べるようになった。

車での遠出も、電車での旅も好きだが、それらは日常でも使うものでもある。一方、空港や飛行機は私の中では旅だけのために存在する。なので空の旅は、車や電車とは ひと味もふた味も違う雰囲気を醸し出す。

以前は飛行機に乗ると思うだけで緊張していた空港も、今はリラックスし高揚感を楽しめる場所になった。すっかり空港好きである。

電車で旅立つときでも、最寄り駅では空港ほどワクワクしたりはしない。しばらくは見慣れた日常の景色が続き、そのテリトリーから出た頃に車窓に興味を持ったり旅の実感をしはじめる、という違いがある。

たくさんの人が行き交う空港。スーツ姿で出張のような人達。
大きなスーツケースを持ち観光帰りらしき外人さん。
そして私達のように少しにんまりした顔の、ここから旅立つ人。

仕事とはいえスーツの男性がお土産を選んでいる。やはりここには非日常の空気が流れていると感じてしまう。

空港には大抵早めに着き、時間に余裕がある。用もないのにお土産屋さんをふらついたり、早めに保安検査場を通り、飛行機の発着を眺めたりする。そんな時間もほんのり浮足立っている。

3歳くらいの子どもが「見てー!飛行機ー!バイバーイ」と飛び立つ飛行機に手を振っているのを、微笑ましく眺める。
生粋の道産子でいつでも食べられるようなROYCE'や六花亭のお土産や、空弁をじっと見つめていたりする。まるで観光客のように真剣に。旅の魔法にかかっているのだ。

何年か前に、豪雨で避難警報がなる中の旅立ちで、じっと遅れている飛行機を待っていたときに、カフェではなく娘とお土産屋さんを物色し、普段のスーパーよりも割高な海鮮弁当をわざわざ買って食べたことを思い出す。財布の紐も緩み始めてしまうから。

そうか。ここには旅の思い出が詰まっていて、そんなあれやこれやの積み重ねが、私を更に引き上げてしまうのかもしれない。

飛び立つのはこれから。気もそぞろになりながら、この空間の魔力にとりつかれ、今か今かとフライトのアナウンスを待つ。
この時間も愛おしい。
ここからしっかり思い出として刻みつける。



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