「茶の本」が難しいので超約してみる①

茶の本(岡倉天心 著)を読んでみたいと思って手に取ったものの、難しくて頭に入ってこないので、自分なりに超約しながら読み進めてみようと思います。

ちなみに、「茶の本」は青空文庫で読むことができます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000238/files/1276_31472.html


第一章 人情の碗

 お茶は、もともと薬として飲まれていたが、後に飲料として飲まれるようになった。中国では、8世紀ごろに「茶」の文化が洗練されていき、古くから芸術として親しまれている「詩」に匹敵するほどになった。日本においては、15世紀に、茶道によって茶の文化が高められた。当時の茶道は、審美主義的な宗教であり、「日常生活の様々な物事の中にある美を崇拝する」という意識を根底に持つ儀式であった。人々の思いや社会秩序といった移りゆくものといった、「不完全なもの」に対する崇拝である。そして、茶道は、人生という一番身近なのに理解できないもののなかで、何かを成し遂げようとす試みでもある。

◆茶の哲学と日本

 茶の哲学は、単なる審美主義ではなく、日本人の倫理観や宗教観と結びついている。人間や自然に対する見方を表しているものであり、衛生から、経済、宇宙に対する見方まで含んでいおり、東洋民主主義の精神そのものを表している。

 日本は長期間鎖国をして世界から距離を置いていた。それによって、自国内で「茶」を醸成し、貴族から農民に至るまで、あらゆる階層の人々に浸透することができた。面白おかしいことに興味がない人を"茶気がない"といい、自由奔放で美学に生きる人を"茶気がある"と表現するほど茶が浸透している。日本人が、あまりにも茶について語り合うので、茶の文化を知らない人が、「大勢の人が、なぜ茶ごときで馬鹿騒ぎしているのか」と疑問に思うほどである。それほどまでに、「茶」は洗練され、深く浸透し、日本文化の中核となっている。

◆西洋と東洋の隔たり

 西洋人は、平和でおだやかに茶を楽しんでいた頃の日本を、野蛮な国として馬鹿にしていた。一方で、日本が大戦で殺戮を犯すようになってから、文明国と呼ぶようになった。戦争を行うことでしか文明国として認められないならば、野蛮人でいた方がよい。自分が大切にしている価値観の小ささを理解できない人は、他人の中にある小さなこだわりの偉大さを見過ごしやすいのだ。

 西洋人たちは、いつになったら東洋を理解しようとするのだろうか?
彼らは、東洋人を無知で愚鈍な存在と思って嘲笑している。
一方、東洋人は、西洋人は尻尾を隠しており、赤ん坊の肉を食べ、この世で最も嘘つきで言行不一致な人種だと思っていた。
人間は、遠くにあるものは魅力的に見え、不思議なことには敬意を抱き、まったく理解できない定義しがたいものには憤りを抱くものである。
東洋人からは、このような誤解は消えつつある。商業上の必要から西洋におもむき、彼らについて学んだからだ。一方で、西洋人からの誤解はなくならない。彼らは、主張はするが、聞く耳を持たないからだ。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、東洋文化を理解できた西洋人の稀な例である。

 私は東洋と西洋が理解し合うべきだと声を上げる。このまま相互理解が進まなければ、争いが起こり、悲惨な結果を招くことになるからだ。西洋文化と東洋文化は、別々の方向に発展しただけであり、お互いの長短を補い合えばよいのである。私は、こういったことを、はっきりと主張することで、自身の茶道についての無知をさらけ出してしまうと思う。茶道は、人の期待に応えることだけを言い、余計なことは言わないものだからだ。

◆「茶」は西洋と東洋をつなぐ

 とても不思議なことだが、これほどまでに隔たりのある東洋文化と西洋文化が、茶碗の中で出会っている。茶道や東洋文化を馬鹿にしてきた西洋人が、この褐色の飲み物「茶」だけは、ためらいなく受け入れたのだ。茶は、西洋でアフタヌーンティーという文化を生み出した(アフタヌーンティーは、現在の西洋社会で重要な役割を持っている)。ポットやカップのふれあう微妙な音、茶を入れる時の衣擦れ、クリームや砂糖を勧めたり断ったりするやりとりの中に、「茶の崇拝」が違和感なく入り込んでいる。そして、「茶の味が渋いか甘いかは運命に任せて待つ」というところに、東洋の精神が宿っている。

 西洋の書物に茶が現れたのは、アラビア人の旅行記と言われている。また、マルコポーロの記録によると、中国において、税は塩と茶であったが、とある役人は茶税を勝手に引き上げて1285年に罷免されたとある。西洋人が極東(中国東部や日本)について、より多くの知識を得はじめたのは、大航海時代以降と言われている。16世紀に、オランダ人が東洋にうまい飲み物を作れる木があると伝え、17世紀には西洋の多くの航海者が茶について触れ、東インド会社がヨーロッパに茶をもたらした。茶は、(多くの優れた品にありがちなように)批判を浴びながらも、ヨーロッパに浸透した。茶は不衛生だとか、身体に悪い影響があると言われていたし、非常に高価で王室や貴族向けの嗜好品であった。しかしながら、喫茶の文化は驚くほど急速に広まった。18世紀前半には、ロンドンのほとんどのコーヒー店では紅茶を扱うようになり、人々のたまり場となった。やがて茶は生活必需品となり課税対象にまでなった。そして、茶への重税は、アメリカ独立戦争の引き金にまでなったのだ。

 茶には言うに言われぬ魅力がある。茶にはワインのようなプライドや、コーヒーのような自意識、ココアのどこか嘘くさい笑顔のような"いやらしさ"がない。ヨーロッパの茶人であるチャールズ・ラムは「わたしの最高の喜びは、こっそりと良い行いをし、それが偶然に知られることだ。」といっている。この言葉には茶の神髄が宿っている。茶道とは、美を発見するためにわざと隠し、見せびらかすものではない。茶道は、こういった行いをする自分を、(馬鹿笑いするのとは違って)冷静に、かつ心の底から笑う。ユーモアそのものである。
 サッカレーやシェークスピアといった文豪たちは、西洋の唯物主義に対抗して茶の思想を受け入れていった。おそらく今日でも、茶の思想をもって、「不完全」を真摯に静観することによって、西洋と東洋がわかりあうことができるのではないだろうか?
古代の中国では、「心」と「物」が争いを起こして天を壊し、大災害が起きたとき、女媧という女神が現れて天を修復したという神話がある。茶道は、「心」を重視する東洋と「物」を重視する西洋の関係を修復する女媧となるのではないだろうか?

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