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「ぜいたく病」という名の不幸


音大を出てハープの演奏をしているいとこが、ハープを教えている生徒さんで「大変だった・・・」と話してくれたストーリーがあります。

その生徒さんは高校生で、レッスン費は親が出しているけれども、「本人が希望してハープを始めた」とのこと。

本人が希望してハープを習い始めたにもかかわらず、どうにもやる気が感じられないだけでなく、回を重ねるごとにこちらの疲労度が増してくる、というのがいとこが吐露した気持ちでした。

そこで起こっていることというのが・・・

  • まったく練習してこない

  • レッスンをしていても、練習をしていないこともあり達成感もなく、次に進むこともできない

  • 練習できない理由として、ハープの弦が切れているなどの問題も発覚

  • ハープの弦を直すための業者を紹介するなどして対応したところ、弦のことは解決した。けれども、それをきっかけに本人の感情が爆発し、親の前で大泣きしたという報告で親も困惑している様子。

  • 教える立場であるいとことしても、毎回彼女に向き合うことが憂鬱になってしまい、どうしたらいいかわからなくなっている・・・。

ざっとこんな感じだとのこと。

ここで、いとこも抱いていたという疑問というのが、

「やりたくてやっているはずなのに、なぜこうも辛そうなのか?」

というもので、彼女の意見としては

「自分に自信がないんだと思う」

ということでした。

いとこは30代前半で、もともととても穏やかで優しい性格なのですが、その彼女がレッスン中に無言になってしまうほど、レッスン中の空気は穏やかでないものになってしまっているよう。

そして、いとこ自身も、自分に原因があるのではないか、もっとこうすべきだったのではないか、など、いろいろと思い悩んで疲れてしまったとのことでした。

ちなみに、他の生徒さんは、まったく異なる雰囲気でレッスンが繰り広げられているとのことで、何より、他の方は皆、「ご本人たちが楽しんでいる」のがいちばん違うのだそう。

で、このお話、私も英語やメンタルのコーチングなどで似たような経験があったので、すごく共感したし、仕事でありながらその生徒さんと向き合うときに暗い気持ちになってしまういとこの心情も、とてもよくわかる気がしたのです。


「いつも不幸でいる」を選択してしまう?

私の場合はコーチングという性質上、特にメンタル系の方に関しては、

こちらがマイナスとかネガティブなものに引っ張られずにプラスの方向に引っ張ってあげる

という役割も担っています。

そのため、私自身ができるだけ日々「元気」で「ポジティブ」な心と体の状態でいる必要があるのですが、そうはいってもこちらも人間です。

ネガティブなものに全く影響されない

ということは決してなく、やはりそこは、対峙するクライアント様とのエネルギー反応にもよるところになったりします。

で、前出のいとこのように、正直なところ、「どっと疲れてしまう」という状態に陥るケースもあったりします。

もちろん、私のメンタルコーチングの方は、ネガティブなあり方を変えて自分を生きて夢を叶えることを目的にしていることもあり、ネガティブであること自体ははじめは仕方がないこともあります。

ただ、これが、先ほどのハープの生徒さん同様、「自分を変えたくて」あるいは「英語が話せるようになりたくて」私のところに来たはずが・・・

なぜか構図としては、向こうは「やらされている」側に立ち、こちらは何かを強いているような、そんな状態にはまりこんでしまうのが、このような人たちの最悪パターンだったりします。

そして、ここにはまりこんでしまうと、何をしても言っても効果がないだけでなく、場合によってはそれまでサポートとしてしていた声がけとか、様子伺いとか、そういったものすらできなくなるということも起こります。

これはなぜかと言うと、決して投げやりになっているからではなく、ある程度言ってダメな場合には引いてみる式の、考えた末の対応である場合と、あとは本当になす術を無くしてしまった場合があります。

いずれにしても、結論としてはあまり良い方向に行っているとは言えません。

そして、それをご本人も必ず感じ取っているはずで、こうなるとほとんどの確率で本人から何か理由で続けられなくなったとか、その他何らかのかたちで「辞めたい」という意思表示があって、ジ・エンドとなったりします。

いとこも言っていましたが、このような人たちに対して、いくらお金をいただいていてもできることは限られてしまうし、また、正直な心境としては、結局お互いに後味の悪い終わり方になってしまい、当然成果にもつながらないため、あまり歓迎しない生徒さん/クライアントさんになってしまう、といのも本当なのです。

でも、心理系のことを学んでサービスの提供を行っている私として言えるのは、この方たちが性格が悪いとかではないのです。

そこはこちらもある程度見定めてご契約いただいていますので、素直で可愛らしい要素はちゃんとあるし、わかっていることとしては、ご本人もつらいのだということです。

では、なぜこのようなことが起こるのか、というとですね・・・

いつも不幸でいる

ということを無意識のうちに選択してしまっているからだと思っています。

つまり、この人たちの特徴としては、何かをやってみたら「楽しかった!」とか、誰かと関わって「すごく嬉しい」というような感情表現や、自分の成長を信じて全力で打ち込む姿などには出会えないことが多いのです。

まるで、喜びの感情に蓋をしてしまっているかのような、自分自身で「喜ばない」「がんばらない」と決めているような姿勢を崩しません。


「感謝も感動もできない」理由とは・・・

人間の欲求には段階があって、まずはじめにあるのが自分の身の安心・安全というもの。「マズローの欲求段階」というものですね。

でも、現代日本での私たちの生活には、明日食べるものがないとか、住む場所がないとか、そういった安心・安全を脅かされる状況というのはほぼ存在しません。

特に、先ほどのような状態に陥っている人たちに共通することとしては、比較的恵まれた環境の中で育ってきた人が多かったりするんです。

何かに困っているわけではない。

でもその状態と背中合わせでもあるのが、

何かに特別感動することもない。

という状態、です。

今戦争中のウクライナとか、紛争が絶えないアフリカ地域とかにいる人たちにとっては、家族が一緒に暮らせることだったり、温かくて平和な場所がかたときでも実現することだったり、そういう時間を過ごせること、お腹いっぱいにご飯が食べられること・・・・私たちからしたら「当たり前」に思ってしまいがちなことが有り難くて、そのぶん、幸せの感度も高くなっているのは事実だと思います。

その反対に、すべてが当たり前で、何かに不自由しているわけでもない代わりに、何かに特別心動かされることもない。

つまり、幸せの感度が低くなってしまっているのが、感謝や感動などの心が動かない状態です。

では、みずから「いつも不幸でいる」ことを選んでしまう、その理由は何でしょうか?

もちろん、彼・彼女たちは意図的にそうしたくてしているのではないのです。

だけれども、何かしらそこに無意識で居座ってしまう「メリット」があるから、そうなっている。

そのように考えた場合、私が個人的に思うのは

成長を拒む(恐れる)自己防衛の心

だと思っています。

そう、自己防衛なので、つまりはマズローの法則でいうところの、安心・安全の欲求から卒業できずにいるということ。

自分のことを構ってほしい・注意を向けてほしい・守ってほしい

という、別の言葉で言うと自立を拒んでいる状態です。

なぜかというと、彼・彼女たちにとって、自立ほど怖いものはないからだと思うのです。

自分で幸せになったら、誰も構ってくれなくなるかもしれない。

喜びを見つけたら、誰も助けてくれなくなるかもしれない。

情熱のままに行動したら、自分で責任をとらされるかもしれない。

物理的な安心・安全ではなく、心理的な安心・安全を必死で守ろうとするところに止まってしまっている。

その結果が、「不幸を選択する」ということだとしたら・・・

それは、苦しいのにそこから動けない本人は、とってもつらいことでしょう。

でも・・・

結局は「ぜいたく病」なのです。

満たされすぎて、満たされていることに感謝できなくなってしまった状態。また、そこから成長の道を歩まずに、保護され続けること、誰からも責任を問われないことを選択している状態です。

他の人たちがある意味、自然に人生の中で体験した「試練」を、たまたま体験せずに済んだ。

そのことが、皮肉にも、彼・彼女たちを「心を動かせないあり方」に留めてしまっている。

そんなふうに思えてなりません。

だから、彼・彼女たちのせいではないからこそ、

幸せを選択するあり方、挑戦して成長する生き方を選んで一歩を踏み出す

その決意を自分でしてほしいと思います。

まとめ

「一生懸命になれない」
「感動できない」

そんなことを口にして泣いていたクライアント様が私にも過去、いました。

もう、彼女とのセッションは終わってしまいましたが・・・

私が今もし彼女に伝えられることがあるとしたら、

「甘えてないで、自分を生きて!」

これが精一杯の、愛を込めた私からのエールです。

人は、与えてもらう立場でい続ける限り、成長はありえません。

必要なら自分を追い込むくらいの気持ちで、一度、与えられているものをすべて手放してみるのもアリだと思うのです。

その時に、どれだけ有難かったか、どれだけ感謝すべきことだったか、そしてどんなに愛されているのかが身に染みることでしょう。

そうなってはじめて、溢れ出る感謝の気持ちと同時に、「自分からは何を与えられるだろうか?」という視点に変わるのではないでしょうか。

現代病とも言えるこのようなぜいたく病に苦しんでいる人たちは、少なくありません。

私自身も、別の意味で心動かない時期があったからこそ・・・・ここに止まってもがいている人たちの力になれたらと思っています。


【高山理瑛(たかやまりえ)】
『自分に目覚め、最高の人生を生きる』ホームページ
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