内田光子のシューベルト

大好きなピアニスト、内田光子。
小さなホールの鳴りを息遣いを閉じ込めた清冽な音に結晶して聴かせてくれている。

ピアノを始めた頃、辿々しい指先で父が弾いていた「楽興の時」を覚えている。娘には自在に弾かせたくてか、月賦でピアノを買い、楽典の初歩を教えてくれたりもした。
即興曲OP90(D899)の四曲は、そこからの十年でやっと弾けるようになった、思い出深いシューベルトである。

内田光子は糸を紡ぐように、機を織るようにシューベルトを弾く。仙女のごとき風貌と、老いてなお力強い指さき。スタインウェイの弦は縦糸、訥々と音を紡ぐ両手は横糸、細い両腕のあいだからハンマーに打たれた真珠がポロポロと転がり出て、空に拡がる布を織る。清明な四月の滴りのような音。人生の四月に早世したシューベルトの若さ、瑞々しさ、あかるさ、いっときかかる雲のような生真面目なメランコリック。こぼれる音は露の玉、耳を洗うように届く。
どの曲も素晴らしい。ミスタッチも気にならぬ。豊かな経験値がありながら、その豊穣を猥雑とせずにシンプルに磨いた素朴な音の連なり。
そして、全ての曲での最後の一音の素晴らしさ。
しあわせなため息をついた。
なんてチャーミングなシューベルトなんだろう。

また、ピアノを弾きたい。
いい演奏は、そんな無謀だけれどささやかな希望を灯してくれる。
斎藤ネコさんのFacebook投稿で知ったこの演奏。ネコさん、すてきなご紹介をありがとうございました。

https://youtu.be/qHNpyJ5Glpo


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?