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私の美(30)「仏塔の相輪」

 お寺を訪ねると、仏塔の上に聳える相輪に惹かれます。
 身近に広隆寺や天龍寺などがあった京都太秦の子供の頃は、神社仏閣は遊び場でしかなく、仏教などにはこれっぽっちも興味がありませんでした。
 やがて、学生時代に哲学や民俗学や心理学の一種として仏教やキリスト教を齧るぐらいでしたが、社会人となり、書籍編集者になると前田恵学・宮坂宥勝編「仏教の歴史」上下巻という分厚い書籍を担当することになり、必死になり原始仏教から学び直すなかで、じわりじわりと仏教に興味を持つことになり、気づけば、仏教の面白さに気づいていました。
 中嶋家は浄土宗なのですが、私は特定の宗教にはこれっぽっちも信心してはいません。ただ、ある種の哲学の一つとして、仏教は面白いものだと思っていますし、過去の仏典や僧侶の生き方から学ぶことが多々あります。
 さて、仏塔です。
 お釈迦さんが荼毘にふされた後の仏舎利(遺骨)を納めた塚に重ねられた傘が、元々の由来だそうです。熱い気候のインドでは、傘をさしてあげたいという心持ちがあったというよりも、おそらく民俗学的な意味合いがあったのではと推察しています。その重ねられた傘でしかなかったものが、やがて現在の相輪へと変貌し象徴的な意味を持ったわけです。
 相輪の土台から、露盤、伏鉢、受花、九輪、水煙、竜車、そしてお釈迦さんの遺骨(灰)が入っている宝珠という構成ですが、これはある種の仏教建築の様式美として長い歴史のなかで完成されてきたものだと思います。仏教が広がり、仏教建築様式やデザインが徐々に研ぎ澄まされ到達したある種の完成された様式美に違いありません。そして、この完成された様式美に、過去の謂れなど捨て去り、その時々の想いを馳せることもまた、ときに楽しいものです。中嶋雷太

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