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本に愛される人になりたい(48) A.シュヴァルツァー著「ボーヴォワールは語る」

 ボーヴォワールの「第二の性」に出会ったのは、スーザン・ソンタグ経由でした。ジャーナリズムやメディア論から言語学や哲学へと志向が走っていた学生時代にスーザン・ソンタグの「反解釈」や「ラディカルな意志のスタイル」や「写真論」などを貪り読んでいるうちに、時代を遡って「第二の性」に行き着いたはずです。
 この数十年、ジェンダーという言葉が広がりを見せていますが、このジェンダーという視座を私に与えてくれた最初の人物がボーヴォワールで、旧態依然とした男女感を大きく変えてくれたのを覚えています。ただ、社会の歪みを指摘し考える為の言葉(概念)が一般名詞化したのは良いことでしょうが、本来超えるべき事柄がおざなりになり、ジェンダーという言葉(概念)だけが都合良く使われ、換骨奪胎した場面もあり、ボーヴォワールはガックリきているのだろうなぁとさえ思うこともしばしばあります。先日、我が家の郵便ポストに入っていた選挙のチラシを見て、「阿保かいな?」と思ったことがあります。その立候補者は「男性より女性の方が良い政治をする」という論旨でしたから。いわゆる逆ジェンダー差別ですね。
 サルトルとの関係やそこで話し合われたことなど…まずは本書をお読みくださいませ。
 サルトルとの関係でいえば、パリのあるカフェで、ボーヴォワールとサルトルが水の入ったグラスについて語ります。喉が渇いている者にとっての一杯の水、そして喉が渇いていない者にとっての一杯の水。同じ一杯の水ですが、人それぞれでその一杯の水についての意味合いが異なるわけです。現象学という考え方を教えてもらったシーンでした。
 世の中のおかしさを見つめ発言するのは大変なことですが、何でもない一人一人の思考から生み出されることでもあります。それは民主主義という言葉(概念)以前の話です。
 20世紀に、ボーヴォワールが考え語り残したこと、そして彼女がその後の自分を振り返り、再考している姿を、本書は教えてくれます。
 ジェンダーという言葉(概念)を振りかざす前に、ゆっくりとボーヴォワールの言葉に耳を傾け、落ち着いて彼女の考えを咀嚼してはどうだろうかとも思っています。中嶋雷太

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