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本に愛される人になりたい(77) 星野道夫「森と氷河と鯨-ワタリガラスの伝説を求めて」

 星野道夫さんの本はほとんど読んでいました。1996年に43歳という若さで亡くなられるまでは。カムチャッカ半島のクリル湖畔でヒグマに襲われ亡くなられたのですが、彼の死があまりにも突然のことで、まったくリアリティを感じられず、未だに彼がアラスカの地で大自然の鼓動に囲まれ、その底で眠りにつく神話たちの数々と語り合っているような気がします。彼の死は、雑誌『家庭画報』でこの「森と氷河と鯨」連載中のことで、本書は彼の死の直後に出版されました。
 本書は、太古から続くインディアン(注:彼はネイティブ・アメリカンという表現を使っていません)の魂に宿るワタリガラスの神話を読みとり、さらに彼らの生にとっての神話とは何かを見つけようとする旅エッセイとでも言えば良いかと思います。その旅は「ワタリガラスの川」から始まります。「時の流れから隠れるように、その存在さえ知られていなかった北アメリカ最後の野生の川、タティシンシィニ。それはクリンギット族の言葉で、"ワタリガラスの川"という意味である。」
 本書の内容はお読み頂くとして、あとがき的な文章を書かれている池澤夏樹さんが指摘されているとおり、神話とは語り部が語るところに存在しており、それを誰かが記録しても、そこにはすでに神話の大切なものが欠落しています。それを理解しているであろう星野道夫さんは、自分の魂をインディアンたちの魂に寄り添わせようとし、彼が感じとったものを言葉にしようとしているのが、本書のようです。
 昨今、評判になっている小説を読んだり、映画やドラマを見たりするにつけ、あまりにも饒舌な説明言葉の羅列、そして浅くて薄いセンチメンタリズムに食傷気味な私にとり、星野道夫さんの、魂を震わせながら寡黙なエッチングで言葉と写真で切り取る世界観は、心安らぐものです。
 人とは、揺らぐ魂を抱えながら、途切れ途切れの言葉で、何事かを感じ取り、時に誰かに伝えようとするものだと私は思っています。饒舌で整理整頓された言葉では、そうした揺らぐ魂を描いたとしても、それは魂が欠落した単なる記録でしかありません。
 明日もまた朝日が昇り、一日という単位の時間を生きる私たちですが、時々、自分のひ弱で揺らぐ魂に寄り添ってみるのも良いかもしれません。星野道夫さんのように。中嶋雷太
 
 
 
 
 
 
 
 

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