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ビーチ・カントリー・マン・ダイアリー(3)

 湘南生まれの湘南育ちの知人の話では、高校生の頃は浜辺で焚き火をしながら缶ビール片手に会話をよく愉しんでいた、という。
 日暮れに何人かが集まり浜辺で焚き火を始めると、三々五々一人、また一人と知り合いがやって来て、缶ビール片手にあれやこれやと言葉を交わす。気づけば世が明けてきて、一人、また一人と浜辺を去っていく。そうした情景が浮かんできました。
 それは昭和の風景なのでしょうが、自己責任が当然な大人になる為の儀式を、高校生の彼ら/彼女らは自分たちの手で育んでいたようで、羨ましい限りです。
 昨夜、久しぶりに炭を熾し、日本酒の冷やを楽しんでいると、子供たちが教養のない教育者から開放される時代になればと、一人つぶやいていました。このnoteでも度々綴っていますが、学問のジャンルの超えた学際的な知識を楽しむこと、本来あるべき教養を忘れ、試験勉強のためだけの暗記が教育となったこの国は、どこへ行くのだろうかと心配しています。
 夜、12時をまわると、熾きた炭は一遍の炭火と砕け、火力たくましい炭となります。そして、酔いがまわり、時間が止まります。
 そして、朝。
 日常生活とは視覚とその他感覚機関で捉えられるだけの範囲にとどまるのですが、人間とは本来そんなもので、世の中とか社会とか国とか世界の動きからは隔絶されています。けれど、時々、日常生活の範囲を超えて、あれこれ考えを巡らせ、時に憂うのもまた良いかもしれません。
 本格的な晩秋が到来すれば、夕暮れの浜辺に腰を下ろし、缶ビール片手に、一人、あれこれ思いを馳せてみようかと考えています。中嶋雷太

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