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私の美(47)「乱雑性のなかの規則性」

 学生時代に、ある実験話を読みました。パレートにある液体を入れ、そこに花粉を振りかけます。すると花粉は乱雑に動いているのですが、よくよく観察すると、ある一定の規則性で動いているのが分かってきます。とはいえ、その規則性を割り出す方程式の回答はなかなか導き出せません。
 例えば松の木。誰もが一目で見て松の木だと認識できると思いますが、どれ一つとして同じ松の木はありません。人間でも同じことで、人間だと認識できても、誰一人として同じ人間はいません。もちろん、あるパターンを知っているからこそ、あれは松の木だとか、あれは人間だとか認識できる訳ですが…。
 一見乱雑でありながらも、どこかに規則性のあるのが物体だと考えると、物事の見え方が変わってきます。
 その規則性を求めるのが科学なのかもしれませんが、科学至上主義に加担すると、乱雑性があるのが分子の動きであることを見逃してしまいます。幾何学的に精緻に書かれた図面であっても、その図面通りに何かを作ろうとしても、どこかに歪みが生じます。その歪みこそ分子の動きだと思うと、理性で凝り固まった頭がほぐれてゆきます。
 ホトトギスが鳴き出す初夏に、とうもろこしを手にすると、その粒々の美しさに一瞬見惚れてしまいます。
 粒の色や大きさというより、粒は整然と並んでいるようでいて、一つとして同じものはない姿に見惚れる私がいます。中嶋雷太

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