本来ならば、私のすることではないー「誰も」望んでいない決意表明

確かに、その通りなのである。私は「その道の」プロではない。そもそも、目指そうと思ったこともほぼない。本来ならば、「私がやろうとしていること」は、私のような馬の骨ではなく、「その道で」実力も経験も兼ね備えたプロたちがやるべきなのである。

しかし、残念ながら、そういうわけにもいかないのだ。なぜならば、「私がやろうとしていること」が想定している「仮想の敵」こそ、そういったプロたちなのである。彼らは、「束になって」、私が苦々しく思っている状況を作り出そうとしているのだ。彼らの意見がどの程度影響力があるのかは分からない。しかし、10年後、20年後に残る「情報」を「彼ら」だけに託すわけにはいかない。さもなくば、「あの人」の痕跡が消し去られてしまうかもしれない。

私は、本当にやりたくない。相手はプロの集団。どう考えたって、負け戦であるからである。しかし、現状に指を咥えていたら、おそらくは無念の死を遂げた「あの人」が存在していたのだ、という事実すら消し去られてしまう可能性がある。「あの人」が批判されるならまだしも、消し去られ、忘却の彼方に追いやられてしまう。そんな結果になったならば、大げさな話、死んでも死にきれない。

私は、本当にやりたくないのだ。私に何か得があるわけでないし、それにより世の中が変わるわけではないからだ。はっきり言えば、誰かがやってくれるのを待っていた。しかし、残念ながら、その「誰か」は、見当たらないようだ。自分のことを語ることはしなかった「あの人」同様、私の「仲間」は、寡黙で控えめなようだ。我々の「あの人」への敬意は変わらなくても、何と言うか、外堀が埋められてきているような気がする。

「死人に口なし」。よく言ったものである。現実とは、かくも残酷なものなのだ。結果的に、私は「あの人」よりも長く生きてしまっている。おめおめと生きのびてしまっている。そんな私ができること、私が「やるしかない」こと、それは、「あの人」が生きた痕跡を、私ができる範囲で、文字化していくことしかないという結論に至ったわけである。

「あの人」が誰か。ここでは答えをもったいぶる。それでも、既にお気づきの方もいらっしゃるだろう。お気づきの方は、「お前に何ができる?」と思うだろう。確かにそうだ。私と「あの人」とは一切関係ない。そのような中で、「あの人」が生きた痕跡を文字化するなんて、驕りもいいところである。

だから、私は、できればやりたくないのだ。しかし、私は、「彼ら」の所業がいまだに許せない。しかし、私の代わりが見当たらない以上、ここを避けては、先に進むことはできないようだ。どうやら、私は、「あの人」同様、苦労性は備えてしまっているようだ(苦笑)。

今私が構想している完成形。それは、かなり「壮大な」ものだ。いつ完成できるのか、正直全く予想がつかない。それだけ、多方面にわたって、「あの人」への援護射撃を行うつもりなのである。それなのに、始まりに過ぎない、この文章自体、私の納得いくものではない。この程度の文章しか書けない私に、何ができるのだろうと思う。無駄な労力なんだろうな。

一応付け加えておくが、これは、「あの人」への恋文といった類ではない。これは、「一つの才能」を消し去ろうとする「彼ら」への抗議文、挑戦状なのだ。そんなこと、「あの人」は好まないと思う。本当にやりたくないと思う。つくづく、損な役回りだ。


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