歴史学と歴史物語ー大河ドラマ『どうする家康』の古沢良太氏脚本について

1.はじめにーほとんど「観てもいない」ドラマについて語る動機

私は、本稿のテーマである大河ドラマ『どうする家康』をほとんど観ていない。大体、同時間の『日曜美術館」を選んでいるためである。以下で述べることは、あくまで「あらすじ」を読んだだけの感想にすぎない。それは、最初に述べておく。

私の評価を最初に述べると、史実としてはまずありえないが、これはこれでありなんじゃないの?というところである。史実(とされていること)を踏まえつつ「大胆に脚色」していて、「物語」としての勢いを感じさせる。

その結果、ネットでは、割合賛否両論が並列しているようである。だから、視聴者ではないにもかかわらず、個人的に考えを述べたくなってしまった。私個人は、たとえ歴史のような事実を基にしていても、物語であるならば、「物語」としての勢いが優先されると考えている。ましてや、人物の「実像」が今一つはっきりしない面が少なくない時代のエピソードである。そこを作者の想像力が補足するのは当然あってしかるべきだと、私は思う。

2.私が、あらすじだけで『どうする家康』を評価する理由

結論から言えば、『どうする家康』は、私個人が好むような「脚色」なのである。今川義元、今川氏真、瀬名/築山殿&徳川元康、武田勝頼……。彼らに共通するのは、戦国時代という時代において「弾き出された」者たちである。『どうする家康』では、彼らの(史実とは違うだろうが)人物像が描かれているのだ。私は、この点を好ましく思っている。なぜならば、歴史「物語」はかくあるべし、と私個人は感じているからだ。要するに、以下は、私なりの「中途半端な」「(歴史)物語かくあるべし論」に基づいている。

歴史「物語」は、歴史「学」において「語る場を与えられなかった」者たちの想いを、「物語」の作者が代弁する「場所」だと、私は考えている。声なき声を拾う。それこそ、歴史「物語」の役割だと思っている。信長秀吉家康という「勝者」ですら、実像はなかなかはっきりしない面がある。ましてや、彼ら「弾き出された」者たちの「声」など、ほとんど分かろうはずがない。『どうする家康』は、私自身が「爽快」と感じるような形で、彼らの「声」をしっかり描いていると思っている。だから、あらすじを読んだだけでも、評価したくなるのである。

3.各論1:何が爽快なのか?その1ー3人の大名について

今川義元。かつて、彼は「愚将」の代名詞だった。私個人はあんまりだな、と感じていた。『どうする家康』では、ほぼ初回だけの登場にも関わらず、わざわざ野村萬斎氏をキャスティングしている。その時点で、驚きである。初回は全部観たのだが、野村萬斎氏演じる今川義元の存在感は、後に登場する阿部寛氏演じる武田信玄と並ぶものだったと思う。それに比べれば、松本潤氏演じる家康や、岡田准一氏演じる織田信長は、まだ「小童」感が否めない(彼らの演技を否定しているわけではない)。

今川氏真。彼はかつて「バカボン」の代名詞であった。私個人は、彼は織田信長が「手をかけなかった」唯一の?敗者として、興味深く思っていた。今回、溝端淳平氏演じる今川氏真は、ひとかどの武将として描かれていた。しかも、偉大なる父親のプレッシャーから、狂気すれすれで悩む若者像が印象的だった。

武田勝頼。彼も、名門「甲斐武田家」を滅亡させた「愚将」とされる。単純に言えば、甲斐武田家最大の領土を手にしたのは、勝頼の時代である。個人的には、本当にそれだけなのだろうか、と疑問に思っている。もちろん、ドラマで疑問が解消したわけではない。しかし、眞栄田郷敦氏演じる武田勝頼は、父親を超えんとする強い意志がみなぎる人物として描かれている。この人物像は、私が「そうであってほしい」と願っている人物像そのものである。

ドラマ最新話では、(史実にあったはずのない)瀬名/築山殿の策略は、勝頼の「裏切り」により、信長の知るところとなった。この勝頼の行動について否定的な意見もある(繰り返すが、史実であろうはずがない)。しかし、私個人は、肯定「的」である。勝頼がドラマで描かれている人物像ならば、当然起こしていたであろう行動だからである。この「裏切り」には、打算だけでなく、武人勝頼なりの「野望」があった。私は、そう評価したい。

しかも、これは史実であるが、勝頼は、この(史実ではない出来事の)決断の3年後、1582年に織田・徳川連合軍に滅ぼされるのである。もしかしたら、この時の瀬名/築山殿の構想に乗っていれば、彼にも生き延びる道があったのかもしれない(あるわけないが)。そういう意味では、勝頼は、この「裏切り」の煮え湯を飲まされるわけである。「情勢」よりも「野望」を優先して滅んだ勝頼。それもまた、「私がイメージする」勝頼だったりする。

4.各論2:何が爽快なのか?その2-瀬名/築山殿&元康

さて、おそらく来週の放送で命を落とすであろう、2人についてである。2人についても、謎が多い。築山殿に関しては、ドラマと違い、本名すらはっきりしていない。元康については、高評価と悪評価が両極端に分かれる。史実からしても、何とも語りづらい人物像ではある。だからこそ、特に築山殿は、大胆に「脚色」されている。それが、「爽快」であったりする。

放送を観ていないので、有村架純氏演じる瀬名/築山殿の構想が何なのかは、はっきりと評価しづらい。しかし、旧今川家と甲斐武田家を巻き込む、壮大なものであったことは確かなのだろう。もしそのような構想が存在すれば、家康や信長の先を行っていたのは間違いないし、おそらく世界史レベルで見ても、先進的な考え方であっただろう。どう穿って考えてみても、愛知の一大名の正室にすぎない一女性が構想できるとは思えない。

しかし、それが「爽快」いや「痛快」なのである。一島国の小国の奥方にすぎない「声なき」女性が、息子を守るためとはいえ、当時世界でも先進的な考えに到達し、実現に向けて行動していた。その「物語」としての壮大な「膨らませ方」を、私は支持したいと思う。ありうるわけはないが、これこそ「物語」にしかできない働きだと思う。

正直に言えば、個人的には、最近通説になりつつある「お家騒動」説が一番説得力があると思う。三河一国すら抑えてなかった松平/徳川家は、曲がりなりにも遠江にまで勢力を伸ばす。「旧本社」岡崎城と「新本社」浜松城と、2つの拠点が並び立つ。会社拡大でも起こりうる事態だが、2つの拠点の意思疎通が取れなくなり、分裂状況に陥る。まだそういう領土拡大した時の支配に慣れていなかった家康は、両拠点の意思統一を怠ってしまった。そこに、家康と築山殿との「微妙な」関係などが絡み合い、浜松城vs岡崎城という事態を招いてしまったのだと思う。

いずれにせよ、歴史「学」においては、「声なき」者になりやすい一女性が、自分なりの構想を実現させようと「画策」する。「物語」としては、「爽快」であり「痛快」である。ただ、ネットでも指摘があったが、「甘い」考えなのは確かである。その代償を「物語上でも」2人は受けることになるわけであるが、それは「歴史」物語である以上、仕方のないことである。

5.各論3:何が爽快なのか?-ドラマでの最大の発見

それは、元康の正室、五徳の存在である。元康ですら、少し興味がある程度だったのに、その奥方が誰かについて考えたことは、全くなかった。今回のドラマで、その存在を初めて知った。よくよく考えれば政略結婚さもありなん、という感じなのだが、彼女は、織田信長の娘なのだそうだ。織田家の女性というとお市の方しか思い浮かばないが、かすかにではあるが、歴史に名前を残した織田家の女性がいたことは知らなかった。

おそらく、彼女については、築山殿以上に「声が残っていない」女性であろう。久保史緒里氏演じる五徳のような人物像だったのかどうかは、判断しようがない。しかし、物語中では、現在のエピソードにおけるキーパーソンの1人として、しっかり場面が与えられている。これもまた、「物語」だからこそできることであろう。

あくまでネット情報にすぎないが、元康と「死別」した五徳は、織田家に戻ったという。信長と(兄元忠)の死後は、秀吉などの庇護を受けながら、何と3代将軍家光の時代に大往生したとのこと。しかも、「織田信長の娘」という看板があったにもかかわらず、再婚しなかったということである。8歳で政略結婚させられ、20歳前後で未亡人となり、それから50年余りを「周りから見れば」余生のように過ごした五徳。彼女は、どのように世の中を見つめていたのだろうか。少し興味がある。

6.まとめ

そんなわけで、『どうする家康』は、現時点では、歴史学者(のなりそこない)としては、首をひねるところはもちろんある。しかし、歴史「物語」としては、史実を踏まえつつも、ありえない、しかし「爽快」で人物の「勢い」が感じられる「痛快な」ドラマに仕上がっていると思う。まあ、遠回しになったが、「肯定できる」ということである。

だから、私は「厳密な史料解釈」が要求される歴史学にはなじめなかったのかもしれない。はっきり言って、歴史学者になれなかった「都合のいい」言い訳にすぎないが。

7.さいごにー今後の『どうする家康』の心配点

まずは、「いまだに成長が見られない」とネットで揶揄されている家康の人間的成長をどう描くのか、ということである。今回の事件をきっかけに「御神君」への道をあゆみはじめるのであろうか。

もう一つは、今川義元・氏真親子、武田勝頼、瀬名/築山殿&元康さらに五徳に、これだけエピソードを盛り込んで、後半大丈夫なのか?ということであろうか。開始から半年経った段階で、まだ武田家が健在なのである。本能寺の変はもちろん、秀吉の天下統一だってある。まだまだエピソードは、盛りだくさんあるはず。果たして、この物語の「厚み」でさいごまで語りきれるのか?速足の尻切れとんぼにならないのか。

心配点は、以上2点である。古沢良太氏に言わせれば、余計なお世話だろうが。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?