自分語り1ー2023年3月22日(水)

0.はじめに

WBCで、日本代表が優勝した。結果的に言うと、私は、日本の得点シーンだけはすべて見ることができた。最後まで観なかったが、そういう意味では、まあまあ美味しい場面だけを観ることができたとは言える。

ただ、ここで語りたいのは、WBCについてではない。野球ファンではあるのに、なぜ最後まで観なかったかというと、予定がある程度決まっていたからだ。本日の10時台に、『エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才』(於:東京都美術館)の入場予約をしていたからだ。とりあえず、岡本選手のホームランで2点差になった時点で見切りをつけて、上野に向かったのだ。

1.『エゴン・シーレ展』鑑賞

10:50と、かなりぎりぎりの時間に入場となった。感想は、軽いなという感じだった。一言で言えば、不満だったのだ。そのため、急遽予算の都合で行くのを断念しようと思っていた『没後190年 木米展』(於:サントリー美術館)を観に行くことに決めた。

私など、美術の門外漢である。そんな私が「展覧会が不満だ」なんて、不遜な物言いもいいところである。何がそんなに「不満」だったのか?挙げていくとキリがないのだが、一言にまとめるならば、美術に携わる方々と、門外漢である私とのアプローチ方法の相違なのだと思う。

確かに、私は「美術展」に行っているのだから、「美術作品」を鑑賞しに行っているわけである。その点では、満足できたと言えるだろう。門外漢であるうえ、絵心ゼロの私でも、「エゴン・シーレは天才だった」という事実は否定できなかった。

彼のドローイングは、本当にすごい。ただ「線を引くだけで」モデルの内面というべきものを暴いてしまう。はっきり言えば、色を塗ったり、背景を作ったりする必要なんて感じなかった。もうそれだけで「完成品」と言ってよいのだ。ゾクゾクした。こんな奴、知り合いにいてほしくない。そう思ったのもまた、事実である。

ただ、不満なのは、「エゴン・シーレが天才だった」という感想以上の情報を、展示からは得ることができなかったという点にある。言い換えると、私には、展示が、エゴン・シーレの「天才性に頼っている」ようにしか感じなかったのだ。もう少しはっきり言えば、「エゴン・シーレとは何者だったのか?」という掘り下げが、決定的に不足しているように感じたのだ。

実際、副タイトルは「ウィーンが生んだ若き天才」なのだから、それでもいいのかもしれない。しかし、私は、変な話、作品「だけを」を観に行っているわけではない。え?と思われるかもしれない。そうなのである。もちろん、美術作品を鑑賞している。ただ、私には、表現技法だとか、美術的なことはほとんど分からない。

では、何を観ているかというと、その美術作品が存在した「文脈」というものである。言い換えると、この人はどういう育ちや考え方を持っているのだろうかとか、どういう人間関係の中に存在していたのだろうかとか、その作品そのものを鑑賞するには「余分な」背景知識である。

私は、「目の前の」作品「そのもの」ではなく、その作品が裏に秘めた「他の作品とのつながり」を観たいというか、「知識として」得たいのである。美術鑑賞としては、これは邪道かもしれない。結局、私は、ポンコツであろうと、「歴史家のまなざし」を持っていたのだと言わざるを得ない。私は、過去から未来へ流れる時の流れ、芸術家が生きたその時代の雰囲気や人間関係という「縦の糸と横の糸のどこにその人物が存在しているのか」を知りたいのだ。

その点では、明らかに不満が残る内容だった。不満について、詳しくは暇があったら、別稿で語りたいと思う。確かに、28年という短い人生を駆け抜けたエゴン・シーレについて「総括する」のは、難しいかもしれない。しかし、彼の存在を「掘り下げ」「際立たせる」ためのヒントは、展示に散りばめられていたと思う。それが全く生かされていないように感じたのだ。

繰り返すが、「彼が天才だった」のはよくわかった。では、「彼の天才」は、「縦の糸」と「横の糸」の絡み合いの中で、どのように位置づけることができるのか、それがよくわからなかった。

こうして、やや不完全燃焼だった私は、六本木に向かうことを決断した。懐はやや痛むけれど。

2.『木米展』(サントリー美術館)

なぜ、この展覧会を選んだのかは、よくわからない。やはり、当日券では入れるのは魅力的だった。しかし、私は、そもそも「木米」という人物について、全く知らないのだ。他にも、『佐伯祐三展』(東京ステーションギャラリー)など、関心のある展覧会はあったのだから。

まずは渋谷で行きつけの病院に寄ってから、六本木に向かった。サントリー美術館は、ミッドタウンの中にある。友人の結婚式で行って以来、2回目のミッドタウンである。

当日券を買って、入場した。結論から言うと、かなり満足した。いまだに木米という人物は分からない(え?)のだが、彼がどういう文脈の下で活動したかはよく分かったからである。

江戸時代後期になり、文化が爛熟するにつれて、「文人」同士が緩やかに繋がった「同人サークル」というべきものが、数多く生まれていた。木米もその中の1人であり、様々な師や知己を得て、自らの表現を追求していたことが分かった。その中には、私が既に知っている、頼山陽や田能村竹田もいて驚いた。ただ、当然初耳の文人も少なくなかった。それでも、彼らについてもきちんと説明されており、私の興味は、満足した。

何より、心が癒された。確かに、エゴン・シーレは天才である。しかし、その作品には強烈な自意識が込められており、それが発する「毒気」にかなりあてられた。木米はエゴン・シーレのような「天才」ではないかもしれない。ただ、木米の作品は、少なからず自意識が現れていても、それはほっこりするものであった。誤解を招く言い方をすれば、「かわいい」のである。

そう思った理由を言葉で説明するならば、両者の持つ「自由奔放さ」の違いだ。エゴン・シーレは、古典的で旧態依然の美術界に挑戦状を叩きつけた。彼の自由奔放さは、「赤裸々」「暴露的」とでも言える。一方、木米は、むしろ「古典」に憧れた。しかも、焼き物だけでなく、詩や絵画にも親しんだことから、「流派」とか「手法」に対するこだわりも、あまり強くなかったように見受けられる。木米の自由奔放さは、「天衣無縫」というべき「遊び」に満ちている。私はやはり、日本人なんだなと感じた瞬間である。

3.まとめ

以上のように、本日は、2つの展覧会をはしごした。しかし、この稿は、私語りをすると題している。では、「対照的な」2つの展覧会をはしごして、浮かび上がってきた「私」とは、一体何か。

①既に述べたように、私は、腐りきっているが「歴史家の端くれ」だったということだろう。対象そのものより、対象を時の流れや同時代の状況、人間関係の中で位置づけるのかに関心があったようだということである。

②「インモラル」への強い憧れ

ドローイングだけで、モデルが隠したい「何か」を暴いてしまう、エゴン・シーレの天才。「憧れる」の一言である。私もまた、「インモラル」であろうと、真実を暴きたいという欲望がある。しかし、それは、強烈に封印しているつもりである。言わないで済むならば言わないという、小市民的結論で生きている。

③「温故知新」「天衣無縫」

では、私にとっては、何が「モラル」なのだろうか?たぶん、私は細かいところがあるので、数えたら100個くらいありそうである。ただ、そのうち2つは、上の2つであろう。

「温故知新」。古きものを大事にし、研究した上で、新しいものに繋げていく、とでも解釈している。木米は、古きものに実際に触れた上で、読書して考え、自らの表現に繋げていた。まさに、この精神を象徴する人物である。

「天衣無縫」。木米は、自分がいいと思うものは、何であれ積極的に学び、取り入れた。また、その交友関係の広さからも、自分とは異なる考え方も、可能な限り「柔軟に」接していたように思われる。彼の目の前には、美という広大な平野が広がるだけで、そこで「積極的に」かつ「柔軟に」遊んでいた。この精神のあり方は、すぐに頭に血が上る「柔軟性の欠片もない」私にとっては、やはり理想的な在り方である。

私は、この「モラル」に従って、生きていきたいと願っている。そう、願って「は」いる。ただ、心の底で嘲笑う声が聞こえてくる。「本当か??」

4.さいごに

今回、この2つの展覧会を選んだのは、無意識のレベルでは、偶然ではなかったのかもしれない。まさしく、私の「分裂した」自意識が、まるで鏡でも見たかのように浮き上がってきた。シーレの道を選ぶのか、木米の道を選ぶのか、はたまた両方ないしは全く別の道?

別に、選択する必要はないのだが、私の無意識が突き上げてくる。「どっちを選んでも、スリルある人生を歩めるぜ」



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