戯言1:私というひねくれ者

私は、かなりひねくれた思考の持ち主である。それは、間違いない。というか、そうだと確信せざるを得ない。

例えば、私は、どう取り繕っても、男尊女卑主義者である。これは、生理的に、仕方ないことなのである。なぜならば、私は、生物学上の性をそのまま受け入れているからである。そこには、一切の屈折もない。これは、どう自己分析しても、否定しようがないという結論に達している。また同時に、私は、自分勝手な「自分第一」主義者である。これもまた、生理的にどうしようもない。まとめれば、「自分勝手な私」が男性である以上、私が男尊女卑主義者になるのは、当然の帰結なのである。

それならば、私は、フェミニズム(今はそれだけではないが)が嫌いなのかというと、実はそんなことはない。全てとは言わないが、私は、フェミニズムの物言いが嫌いではない。むしろ、男尊女卑的物言いより、よほど清々しくて面白いし、刺激があると感じている。

少なくとも、憎しみを感じるという意味では、現実世界において、「男性らしさ」という概念、さらにはそれに基づいて「男性らしさ」を誇示する男性に対して感じる憎しみの方が、はるかに深く強大である。それもまた、事実である。なぜならば、私には、「男性らしい」男性が押しつけてくるずるさや卑怯さに、本能的に気づいているからである。そういった「ずるさや卑怯さ」ほど醜いものはない、と生理的に感じている。はっきり言えば、概念としては、一切の面白みも感じないのである。

まあ、だからと言って、私には、レディーファーストの気持ちが一切ないこともまた、前述通り事実である。あえて言うならば、「実際の」フェミニストに対しては、「憎しみ」とまではいかなくても、「不愉快」という気持ちを抱いている、とは言えるかもしれない。おそらく、私が女性ならば、「女尊男卑」主義者ではあっても、「女性らしい」女性には憎しみを感じる人格の持ち主になっていたのであろう。

話が脱線し始めた。まずは、話を、最初に戻そう。それは、私が、いかに、ひねくれた思考の持ち主だということだ。それは、ここまでの物言いで、ご納得いただけたと思う。私は、男尊女卑主義者である。しかし、思考(志向、嗜好?)としては、「その対極に位置する」はずのフェミニズムに面白さを感じてしまう人間なのである。つくづく、周りから見たら、およそ理解できない、奇怪な人格の持ち主と言わざるを得ない。はっきり言えば、気色悪い。ただ、それだけである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?