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日々是調理

  

 ある意味、生きるのが必死になってきた。

 もはや誰でも感じていることだと思うのでさらっと書くと、家にずっといることがこんなにもストレスだとは思わなかった。

 たまの休みには家でネコを膝に乗せて読みたかった本を読んだり、書きたかった原稿を書いたり、バイクに乗ったりするのがとても楽しかった。子供のいないサラリーマンのシンプルで気楽な休日だ。ところが平日も休みもずっと同じ場所にいて、同じ椅子に座りながらある日は仕事をし、ある日は白ワインを飲んだりしていると、そのうち「アー!!!」という気になる。文字通り「アー!!!」だ。語彙力の低さが悲しい。

 私は自由人とは真逆な人間だ。制約やルーティーンのなかで自由を見付けていく方が性に合っている。なので「原則、外に出るな」以外にルールのないこの状況は大きなストレスなのだと思う。

 ところが同じ部屋の向かいのテーブルで仕事をしている奥さんを見ると、それなりに落ち着いているようだ。奥さんは私とはこれまた真逆の人間だ。あの御方は仕事モードではいつもてきぱきとしている。なのできっと働く時は働く、休む時は休むという切り替えもうまいのだと思う。一度やり始めると24時間夢の中でまで同じことを考え続けてしまう私には、そのスマートな社会人ぶりがとてもまぶしい。私もああいう人間になりたかった。

 思えば、ものの見方というものを教えてくれたのも今の奥さんだ。

 認知行動療法というものがある。認知の歪みを正し現実に対処していけるようにするものだが、それに近いことを私は彼女から教わった。

 何故か知らないが、私は元来物事を悪い方に捉え、穴の奥へ奥へと自らを連れて行ってしまうようなところがある。多分物心ついた頃からそうだ。

 しかし当然そんな考え方でいいことなどひとつもない。なのでそのように生きている間は、私にとって人生など死ぬまで続く苦行でしかなかった。私にはいつもうっすらとした希死念慮というか、今ここで唐突に人生が終わっても構わないという投げやりな気持ちがあった(正直に言えばこの余韻は今も残っている)。

 暗い話だが事実なので仕方がない。ただそれが今の奥さんを見ていて少しずつ変わった。

 楽観は意志によるとどこかで読んだことがあるが、彼女の姿勢はつまりそういうことだと思う。困ったことが起きてもそれで落ち込んだり不安になったりするのは気分の問題として仕方がない。しかしそこからどうにかなるさと考えることは、意志の力で十分にできる。人生にはそうして生きる余地があると彼女から教わった訳だ。

街頭 小

 さて、考えてみれば今我々が置かれているこの状況は、不安を抱えつつ将来を楽観して生きるためのテストなのかもしれない。いわば私は試されているのだ。放っておけば「アー!!!」としかならない毎日を、どう切り抜けるか。

 それはもう、メシしかない。

 今や在宅勤務のノウハウみたいなものはあちこちに書かれているが、個人的に鉄則だと思うのは、午前中のうちにひと区切りの仕事をしてしまうことと、気分転換を兼ねて昼食を自炊することだ。とくに昼食は、一億総蟄居生活を支える大事な拠りどころだ。

 我々はたまたま料理が好きな方なので自炊が楽しいが、これが外食であっても全然構わないと思う。要は「集中」や「仕事」から時間を区切ることが大事で、これは会社ではもっぱらフロアでパンをかじっていた私には改めての発見だった。でもまあ、そりゃそうだよな。

パスタ

 この日は在り物だけでパスタを作った。チンゲンサイなんて初めてパスタに使ったが、ニンニクを炒め、茎の部分とベーコンを炒め、葉っぱを炒め、茹で汁を入れ、味を調えてパスタを絡めたら、何となくそれらしいものができてしまった。こんなレシピに行き着くのも在宅ならではだろう。イタリア人がどう思うかは知らないが。

 こういうものをさっと作って温かいうちに食べることは、シンプルだけどとても幸せなことだ。そして食べながら話をしている間は、この先どうなるんだ的なことはあまり考えない。いや話題にすることはあっても「アー!!!」とはならない。今はまだわずかだが、どこかに「そのうち何とかなるやろ」と考える余地がある。これは正しい楽観だと思う。

 こうして何とかこの閉じこもり生活のストレスをかわして生きている。まあこれで人格が正されるのであれば安いものだ。

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