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2020年3月、ある一日の記

 
 2ヶ月ぶりに髪を切る。

 もう10年以上ずっと同じ美容師さんのところに通っている。かつて大阪市内に住んでいた頃、たまたま入ったヘアサロンで担当してくださった方で、その後独立して大和川の向こうに一人でお店を構えている。遠いのでいつもは会社帰りに寄るのだが、今日は2週間ぶりに社屋内で打合せがあったのでそのついでだ。

 もはやあらゆる業種、あらゆる商売に例のウィルスの影響が出ているが、私の美容師さんはまだそこまで深刻という訳ではないらしい。常連さんが殆どだからですかねとか、何が起きても髪は伸びますからねとか、そんな話をお互いにマスク越しに、ちょっとあさっての方を向いて話す。満員電車がクラスター化しないのは会話しないからだという記事を読んだが、その点では床屋さんは本当に気を遣われていると思う。

 髪を切った後はまた別の地下鉄に乗って、こっちはいよいよ影響が深刻と思われた旧知のイタリア料理屋さんに寄る。

 場所はまあ、多くの人が「なんでそんなところで」と思うようなところにあるが、シェフの骨太な料理のファンはいまだに多く、「そんなところ」にわざわざ出掛けて大体が肉や肉や肉などを食べる。

 お店は思ったよりもお客さんがいて、とはいえカウンターで密接に座る訳にもいかないので、2人分くらいの間隔を空けて座った。いつもながらの下処理が完璧なトリッパを食べ、いつもながらの苦味が美味しいトレビスのサラダで味覚をリセットし、牛肉のビステッカを楽しんだ。ちょっと奮発したのは、4月から東京に転勤する奥さんの後輩の送別会の意味も兼ねていたからだ。

 その彼曰く、元々この時期は引越が多く諸々の手続きが大変ではあるが、今年は輪をかけて複雑な状況になっているらしい。多分来週から東京に行ったとしてもそのまま出社する訳にもいかず、取り敢えず自宅待機になるだろうとのこと。とにかく日本全国気もそぞろな状態がしばらく続くのだろう。とはいえ多くのクライアントはリモート中心とはいえ企業活動を続けている。「働き方改革」という言葉が甘っちょろく感じるほどの変化が、今後起きる可能性は極めて高い。

 なんて、もっともらしい会話をしながら、肉の会を意図的に早めに切り上げ、在宅勤務開始直前に顔を出したバーに3人で向かう。一転こちらのマスターは

 「もう皆さんが出て来られる頃にはウチはないかもしれませんよ」

 と冗談まじりに話していたが、眼鏡の奥の細い目はまったく笑っていなかった。こちらとしてはなるべく寄りたいのだが、そもそもよほど必要性の高い打合せでもないと会社には入れないので、必然的に大阪の街なかに出てくる機会は減ってしまう。何とか頑張ってほしいと思って飲んだジンリッキーは、いつもよりも濃くて苦かった。

 こういう状況だからこそできることは絶対にある。個人としては毎日それを考えてやるしかないが、いくら一人が好きな性分とはいえ、やっぱり人との生身の交流は何ものにも代え難いものだなと、今日一日だけでも心底思い知らされた気がする。

 でも多分、今はまだコトの山場にも差し掛かっていないに違いない。インプットが限られるとここに書く内容も限られ、且つどうしても沈鬱な内容に寄っていってしまう。だがいざ書き出すと細い細い糸に引き出されるようにして、内心自分の思っていたことや考えていたことが少しずつ出てくるような気もする。とにかく今は生活のすべてが実験なのだと思って、毎日を過ごすことにする。

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