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夜の電話


時間がまた動き始めたようだ。

夕食の準備を前に同僚にメールを打っていた時のことだった。ノートPCのかたわらに置いた2つのスマホのうちのひとつが光った。通常仕事用のiPhoneは音が鳴るようにしているので、無音のそれはプライベートの方だった。

こんな時間に、と思うほど遅い時分ではなかったが、しかし奥さんは既に帰宅して台所にいる。急ぎで届きそうな荷物もない。何だろうと思って自分のiPhoneを取り上げると、画面には父の名前が表示されていた。

夜に突然肉親から電話があるというのはあまりいい話ではない。例外は福岡の義母で、この前もらったあのコーヒー、あれ何だったかしらみたいなことで朝でも夜でも普通に奥さんに電話を掛けてくる。そして奥さんが出ないと私の電話が鳴る。

「ごめんねえ、何度鳴らしても出ないから何かあったかと思って」
「いえいえ、風呂に入ってるだけですよ」
「あらそう」

この人は自分の入浴中に電話が掛かってきた経験がないのだろうかと一瞬思うが、しかし不思議とまったく腹も立たない。まさに人格の為せる業だと思う。

話が逸れた。

父とは確か今年の正月くらいから話をしていない。幸い奥さんがひと昔前のメル友のような関係を築いているので(父は知り合いが勝手に自分を見付けてくるSNSを気持ち悪がって使わない)、事務連絡は全てその謎のホットラインに甘えている。それにお互いに直接話すと気づまりなのは昔から骨身に染みている。

その父から私に直接電話が掛かってきているのだから、これはいよいよ何かがあったに違いない。たとえば、犬が死んだとか。でもそれはちょうど1年前、バレンシアのホテルに泊まっている時に起きていた。あれ以来両親は動物を飼っていないのでこの選択肢はなしだ。では他の親戚が?確かに国立の叔母はもう結構な歳で病気もしているが、最近それで危ないとかいう話は聞いていない。他の親戚は皆既に鬼籍に入っているか、あるいは長らく音信不通でどこにいるのかさえ知らない状態だ。

あるいは父が。いやその本人が電話を鳴らしているのだからそれはないだろう。何かあったとしても普通は他の誰かが連絡してくるはずだ。

ここまで考えるのに1秒くらいだろうか。買い替えたばかりのiPhoneは父の名前を無駄に鮮明に映して震えていた。そしてこの時点で私は無意識のうちに、最もあり得べきひとつの可能性を排除していた。

「もしもし」
「ああ、お父さんだけど」

父は昔から電話では自分のことを「お父さん」と呼ぶ。電話の時にしか聞かないので、多分その時だけ何か別の回路が通電しているのだと思う。

「今大丈夫か」
「うん」
「家は落ち着いたか」
「まあ、引っ越して半年たったからね」
「そうか」
「……」
「こっちは大変だよ、今朝だってもう5度とかなんだから」

そう言いながら、父が言葉を探している様子が電話越しに伝わってくる。

「それでな、これはそろそろ伝えなきゃと思ってさ、電話したんだ」
「なに?」
「お母さんが、軽い脳梗塞を起こして病院に行ったんだ」

来たか、と思った。

「そうなんだ。大丈夫なの?」
「ああ、今も普通に家にいるし、毎日家事もしてる。手足とか、言葉とか、そういう後遺症もない」

聞くと、母が昔から可愛がっている姪、つまり私の従姉と自分の部屋で電話で話している最中に、急に気分が悪くなったらしい。電話を切った後すぐに東京で看護師をしている従姉から父に電話があり、母が呂律が回らなくて様子がおかしいから今すぐ病院に連れて行けと言ってきた。慌てて母の部屋に行くと確かにベッドに横になっているが、しかし本人は自分で起き上がって「そうだ、ミヤちゃん(従姉の名)にあれも教えてもらわなきゃ」などと呑気なことを言っている。

おまえ、大丈夫か、救急車を呼ぼうかと聞くと、ご近所に知れ渡ってイヤだからそれだけは絶対にやめてと言う。それにさっきはちょっとおかしかったけど、今は何ともないから。確かに父から見ても意識も言葉もはっきりしていて問題はなさそうに見える。じゃあいいのか、でも心配だから取り敢えず明日ニシノ先生のところに行こうということになり、翌日私も幼少時から大変お世話になったニシノ病院に朝から二人で出掛けた。

「それでCT撮ったけど異常がなくて、そこから更にオバヤシ脳外科に紹介状もらって行ったんだ」
「それで?」
「あそこの息子、大輔の先輩でいただろ」
「いたけど、そんなことはいいから。それで?」
「ああ、そうしたらやっぱり脳には異常がなくて、先生がこれは消えてしまったのかもしれませんねえって言うんだよ」
「消える?そんなことあるの?」

脳梗塞って消えるものだったのか。「梗塞」は状態じゃなくてモノなのか。私は父と話しながら、つい先ほどまでメールを書いていたPCで「脳梗塞 消える」と検索した。なるほど、確かに脳梗塞はその跡が消えるものらしかった。

「でさ、次に首の辺の血管を撮ったんだ。そうしたら小さな跡みたいなのが見付かってさ、多分これだろうって」

続いて「脳梗塞 血管 首」を見る。脳梗塞は頸動脈に異常が起きても発症するようだった。奥さんがパスタを茹でるために沸かしていたお湯の火を止め、こちらの様子をうかがっているのがわかった。

「じゃあ運が良かったんだね」
「そうだなあ。お母さん、血液さらさらにするやつ飲んでたから、先生もそれが良かったんじゃないかって」
「そうなんかな」

まあ医者が言うならその可能性もなくはないのかもしれない。私はかつて血小板が減る病気の人が身近にいたので、あれ以来「血液さらさら」という言葉が苦手だ。母は元々高血圧の家系で、実際に症状も出ていたので飲んでいたのだろう。

そして祖母が亡くなったのも、当時でいう脳血栓、つまり脳梗塞だった。

それからは何となく病気のことや、最近のことなどをぼそぼそと話した。今回は良かったけど、本人がイヤだと言っても救急車は呼ばないと。そりゃわかってるけどさ。田舎だから大変なんだよ。近くのナントカさんの息子も転勤で実家に戻ってきてるんだけどさ、品川ナンバーなんだけど窓ガラスに「転勤で地元で仕事してます」って貼り紙してんだよ。うへえ、まだそんなことやってるんだ。そうだよ、だから神戸ナンバーなんかで来たらえらいことだぞ。とにかく、こっちは田舎なんだから。

「そんなんだからさ、すぐ来るなんてことになったら大変だから言わなかったんだけど、落ち着いたしそろそろ一応伝えておこうかってお母さんが言うから電話したんだ」
「そう、まあ行きたいけど、帰ってもできることないしねえ」
「いやいや、こういう時は大人しくしておいた方がいいよ。この冬は特に。また来年にしよう」
「そうだね、それじゃあまた、お大事に」

そして私は何ヶ月かぶりに言葉を交わした父親との電話を切ったのだが、ここから起きた様々な感情は、今でも完全に消化しきれているかちょっと怪しい。正直なことを言えば、今すぐ一度帰ってこいなどと言われなかったことに私は安堵していた。父は「大人しくして、移動しない方がいい」とかすれた声で何度も繰り返していたが、本心がどうだかはわからない。だが田舎の状況が状況なので、周りの目を気にするということは確かにゼロではないと思う。

だが、まあ、そんなことは些細なことで、本当は何をせずとも来なさいと言いたいのかもしれない。それに私が自分に都合よく解釈したいだけのところも絶対にある。

ただ少なくとも、母が軽症とはいえ倒れたことは、私にはシンプルにショックだった。本当に、来るものが来たなという感じだった。

男は全員マザコンだとはよく言われるが、やはり私の場合も母の存在が心の真芯にあったのだと思う。今それがいよいよ揺らぐかもしれないという時に私が思ったのは、そう遠くない将来、自分は本当に一人になるのだということだった。

男は、というか人間は、多かれ少なかれ誰かに認められたいという気持ちを持っている。そして母親は自分のことを無条件に認めてくれる唯一の存在だ。そこから先は自分の手で、自分を認めてくれる人や、人に認めてもらえる何かを見付けていかなければならない。それは生きていくうえで当たり前のことだ。そこの最後のスイッチが、今ようやく起動したのだ。

今更何だという話だが、実際には私もその現実を自覚し、自律して今まで生きてきたのだと思う。しかしそれがこの数ヶ月の間に、否が応でも自律を求められ続けた、現代人が初めて経験する数ヶ月の間に、くたびれてしまっていたのだろう。そこに母の話がぽんと飛び込んできた。埃まみれのスイッチの蓋が開き、レバーの明かりが赤く灯った。私は選択の余地もなくそのレバーに指を掛けた。つまりそういうことだ。

きっとこんな話をすれば、あの母のことなので「まだ私は死んでないわよ」とか、「無条件だなんて冗談じゃない」とか色々言うと思う。それでこそ私の母だ。いつまでもそうあってほしいが、今ここに書いてきた通り、「いつまでも」ということはあり得ない。そしてそういう現実をもって、母は私に最後の力を与えてくれたのだ(最後って何よと言われそうだ)。

「電話、誰からだったの?」
「父親から」
「珍しい。何かあったの?」
「うん、まあ、何でもないよ。家のこととか」
「そう」

私はたった今聞いた話と自分の心情を整理して説明することができず、その場をごまかした。当然奥さんは何かあったんだなと思っているだろうが、敢えて聞かないでいてくれた。そして今私はここに事の顛末を書き出し、漏れ出しそうな感情に何とか輪郭を与えた。読んだ奥さんには怒られるかもしれない。

でも私が感じたのは、多分こういうことだと思う。

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