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ネコという有袋類

 
 彼らはやっぱり袋を持っていると思う。

 このところずっと人間が家いるせいか、ネコたちの無遠慮さが目立ってきた。メインクーンの方はまだいい。元々撫でられるのは大好きでも抱っこはイヤ、膝に乗るなんてもってのほかという距離感の持ち主だが、ふと気付くと人間と並んでソファでくつろいでいる。昨夜など奥さんの隣でベッドで丸くなっていた。5月に4歳になるがこんな光景は初めて見た。きっと在宅勤務の2週間を経て人間との距離が自然と縮まったのだろう。これは嬉しい変化だ。

 問題はもう一匹の茶トラだ。奴は恐らく人間が家にいると便利くらいにしか思っていない。人が椅子に座れば膝に乗り、食器を洗えば手から水を飲ませろとせがみ、風呂に入ればドアの前で早く出てこいと鳴き、そして遊びたくなると家のあちこちを移動しながら大声で鳴き、無視しているとトイレに駆け込み無理矢理にでも大便をひり出して砂もかけずに走り去る。とにかく人間との1対1のコミュニケーションを強要するのだ。これはこれで可愛いところもあるが、大体の場合鬱陶しい。

 一度などは私が目の前で開いているMacBookの上をバタバタと横切った挙句、テーブルの上からペンや眼鏡を次々と床に落とし(ネコ特有の習性だ)、さっと台所に移って野菜の入ったビニール袋の端をくちゃくちゃと噛んでほら、悪いことしてるよ、叱らなきゃ!という顔をして逃げて行った。

 この時は「堪忍袋の緒が切れた」という言葉が頭に浮かんだ。ちょうど名古屋時代の上司が海で溺れかけた際、「金輪際」の三文字がドンドンドンと頭に浮かんだと言っていたが、まさしくそんな感じだった。

 堪忍袋は人間が後生大事に持ち歩いているものだが、実はネコもまた袋を持っている。しかしそちらの名前はよくわからない。

ネコ1

 この2ヶ月の間に、私は仕事で大きな成功と大きな失敗を立て続けに経験した。たとえばそんな時。自分ではどうしようもない連絡を受けた後、黙ってネコを撫でる。ただひたすらにネコを撫でる。そして背中とか太ももとか、どこか適当なところに顔をうずめる。メインクーンはメインクーンの、茶トラは茶トラの、それぞれの匂いがかすかにする。

 ネコはそれを無表情で受け止める。イヤな時や気分が乗らない時は急に前足を舐め始めたりするが、こういう時はまあ、何もしない。一瞬「何だ?」くらいの顔をした後、すぐに普段通りの表情に戻ってじっとしている。つまりこういう時、ネコは人間の吐き出す何らかのものを、何らかの袋のなかに黙って詰めている。

 同じような袋を犬もまた持っているような気もするが、彼らは違う。犬はこちらと同じ顔をして、つらいね、悲しいねと一緒になって嘆く。そしてそんな顔をしないでと人の顔を舐め、何とか人間をまたいつも通りの様子に戻そうとする。このいじらしさが犬の最大の魅力のひとつだが、彼らが袋を取り出してそこに何かを詰めているかというと、多分そんなことはしていないと思う。彼らにとって袋とはせいぜい飼い主がお散歩の時に持ち歩いているエチケット袋のことだ。

 そしてネコの凄いところは、それを何の負担とも感じていないところだ。これは想像に過ぎないが、まあ確かだと思う。ネコは人間の喜びは勿論、悲しみや屈託を無表情で受け流し、それを袋に詰めてそのまま最終的にあの世にまで持って行ってしまう。平たく言えばネコは聞き上手だ。人の話の一切を受け止め、先へ先へと流してくれるのだ。

ネコ2

 stay at homeのおかげでネコが無遠慮になってきたと書いたが、実は何かとネコに頼っているのは人間の方なのかもしれない。まだまだ続く一連の出来事は、仕事だけでなく夫婦や家族の在り方も変えるだろう。そこには勿論ネコも含まれている。家にいるとなかなか生身で感じる刺激や発見に乏しいと思っていたが、いやいやそうでもなさそうだ。おい、それよりこちらの気が引けないと思うとトイレに行くのはやめなさい。

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