3.11

今日は、3月11日。今日も今日とて仕事だったので、9年前に地震が発生したその時間は慌ただしく院内を駆け回って、消毒液を待合室に吹き散らかしていた。

9年前のあのとき、私は大阪にいた。大学2年生に上がる前の春休みで、当時付き合っていた彼氏と一緒に梅田で買い物をしていた。ビルの屋上にある観覧車に乗った後、同じビルの中のディズニーストアにいた。

あのディズニーストアは何階にあったのだろうか。かなりの揺れを感じた。天井から吊されていたディズニーのキャラクター商品が、ぐわんぐわんと揺れていた。揺れが止まり、店員さんの「お客様のなかに、お怪我のあるかたはいらっしゃいませんか」の声を聞きながら、私はすぐに実家の母に電話をかけた。

私の実家は山口県で、大学進学のために京都で一人暮らしをしていた。母は電話に出なかったので、メールを送っておいた。

「大きな地震がありましたが、私は大丈夫です。」

大きな地震だったね、とかなんとか言いながら、私は買い物を続けた。そのうち、母からメールが返ってきた。

「無事で良かったです。日本は大変なことになっているよ。」

私は何があったのか調べることもせず、ぶらぶらと遊び、彼氏と夕ご飯を食べ、一緒に私のアパートへ帰り、テレビをつけた。

唖然とするだけだった。梅田でぼんやり遊んでいる間に、本当に大変なことになっていた。彼氏は隣で、東京にいる先輩に連絡をつけようとしていた。仙台に実家があった友人は、家族に何度も何度も電話をかけ続けたそうだ。(家族は全員ご無事だった)

あのとき、私は、なにをしていたんだっけ。

多分、なにもしていなかった。

じっと、テレビを見つめていただけだった。

寄付はしたけど、微々たるものだ。


私は、なにもしなかった。



震災から数ヶ月の後、京都で開かれた府の合唱祭で、福島の高校生の合唱を聴いた。震災の影響で、四つの高校の合同演奏会を断念した彼らを、京都に招待したということだった。

超満員の会場で聞いた彼らの歌について、言葉で表現することはとても難しい。会場の隅の通路に体育座りして聞いたあの歌は、上手いとか素敵とか、そういうことよりも、「歌いたい!」という気持ちそのものだったと思う。

山下達郎の「パレード」を合唱にアレンジした曲では、3列に並んだ高校生達が隣の人へひとつの傘をリレーしていくという演出があった。傘を手にした彼らは、思い思いのポーズをキメて見せてくれたので、会場は彼らを微笑ましく思う気持ちでいっぱいになった。

四つの高校の合同演奏として披露されたのは、「こころよ うたえ」という曲だった。合同演奏会のために作曲されたこの曲は、この後に東北復興のシンボル的な曲となった。歌い出しはこうだ。

だから こころよ せめてうたえ

私の拙い文章を読んで下さった方は、よかったらこの曲を聴いてみてほしいと思う。(ご存じの方も多いかもしれないけど) 私が所属していた合唱団の先輩は、この時の演奏を聴いて滂沱の涙を流していた。後から聞けば、「どんな気持ちで歌ってたんやろって思ったらなぁ…なぁ…」と言っていた。

今、この文章を書きながら思い出すだけでも涙が出そうになるのだが、当時の体育座りの私には、涙はなかったと思う。なんにもしなかった、なんにもしらなかった私には、涙が出なかったのだ。

知らないことは、というよりも、知ろうとしないことは、恥ずかしいことだ。目を背けることは簡単だけども。あの当時、私にはもっと考え、知るべきことがあったはずだった。

今からでも、遅くないだろうか。


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