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九月の風

台風14号が来てます。
風が強くなって、このあとはもっともっと強くなりそう。
台風には慣れっこになってしまっているけど、年々威力を増していることもあり、台風が来るたびに、私は人間のちっぽけさを思う。
技術が進歩し、生きていくための制度が整備されていっても、人間というのは、自然の前ではただ弱く立ち尽くすだけの存在なのだと思う。
そういう風に考えるのは、悲観的すぎるのかしら。

さて、九月になってからは、こういうサイトを作りました。

ソロ時間を気楽に楽しめるコトを完全自分目線で、流行とかマーケティングとか考えずに書いてみようと思って。
なんだかんだと言って、私はひとりで過ごす自分の時間を気に入っています。
本を読んだり、気になったところへ出かけたりして、知らなかったことを知る喜びに気づけるから。
こういう喜びを誰かと共有することも素敵なことだけど、私はそれにすっかり浸ってしまうのには、ひとりで十分だという気分があります。
それに、人と一緒だと、ちょっと気取ってしまったり、矢鱈に気を遣ってしまったりして、ひどく矮小な自分にでもなった気もしてくる。
こういうのは認知的に歪んでいるのかもしれないんだけれど、まあ言いたいのは、一人で自分の気持ちを満足させることって、とても大切なことだということです。

まだ少ししか投稿できていないけど、ちょっとずつ更新していく予定です。

それから、10月から新たに仕事を始められることになりました。
個人としての仕事も受けていきたいと思って、そちらの準備をする一方で、求人に応募をしたりもしていました。
私はコロナ禍の前までは、割に大きめの規模の会社で仕事をすることが多かったのです。でもコロナを境にして、言葉はよくなかもしれないけど、零細の会社で仕事をすることになり、私には苦労が大きかった。極めて個人的な意見だけど、零細の会社に属するということは、ある程度鎖された文化に身を浸すということだとも思う。相性が最終的にはとても大事だし、私にはそいう環境では、どうしても呼吸がしづらかった。
では大きい組織ならそれがないのかというと、それだってわからない。そっちこそ、階層的な従属関係というのが確実に存在するわけで、合う合わないというのは人によってあると思います。

ただ、私はもう小さい鎖された空間にいることから解放されたいと思いました。
今度の仕事は、都市部の会社での仕事なので、リモートでお世話になるのですが、とても緊張しています。
私にできるんだろうか・・・。
けれども、人間にできることって、瞬間だけを切り取っていくと、そう大きくない。
人間にできることは、「今日を一生懸命生きる」ということだけなのだと思っています。
バカみたいだが、けっこう真面目にそう思う。
だって、明日私は台風にぶっ飛ばされて、この世からいなくなってる可能性だってゼロではないのだし。
新しい仕事を前にして、不安がないといったらうそになる。
でも、新しいけれど、ずっと興味もあったことで、仕事で触れる中で学びもきっと多いはず。
webやらなにやら試行錯誤でやってきた人間として、私ならそれを学びに変えられるんじゃないかと、まあそんなことを不遜にも思うわけです。

人ひとり生きる金を稼ぐというのは、とても重いこと。
それは苦しさを生むし、そういう時、独り身の私は、自分可愛さばかりが募って、余分に苦しむことがあります。
ただ、仕事って、「私」がなくっていいことではあります。
何かしらタスクに取り掛かっているときは、それは「私」のところにあるけれど、時を経て必ずどこか誰かのところに渡される。
そのとき、「私」というのはもう一切なくなる。
あるのは、「誰かが喜んだ」とか「助かった」とか、もしくは全くその逆か。
だとしたら、私がやるべき仕事は、誰かが喜ぶ顔を考えて、やれることをやるということなのでしょうな。
それは、りっぱに「一生懸命生きている」ってことだと思います。

「仕事に責任を持つ」って、そういうことから始めていいんではないかいと、最近の私は思っています。

結果というのは、いつも積み重ねていった先にしか見えないものだし、私は小さい幸せを自分なりに確かめていけたら、それがいちばん豊かなことだといつも思います。
仕事が始まるまで、ずっとドキドキはしていると思うけど、求められそうなことの勉強をしているのも楽しい。
まずはここから、また歩き始めていけたらいいなと、暗い窓の外を眺めながら、考えています。

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