見出し画像

何者でもない。

他人事だと思っていたら、自分のことだった。

ひとかどの人になろうと野心を燃やしていた訳でもないのだが、アイデンティティを問われる時、「仕事」を軸にしていたところがあった。学校を卒業してからずっと、仕事の社会で生きてきたわけだから、その要素はあって当然だ。だから、職業欄の「専業主婦」とか「無職」というのは、他人事だと思っていたのだ。

昨日、パートの面接に行って、あたふたしたのだが、本当にあたふたしたのは、その前日だ。履歴書に書く内容、職務経歴書に書く内容が、もうすでにわたしのものではない感が半端なかったのだ。

すでに過去となった職業を記しながら、今の自分には肩書きがないんだなと自覚した。他より手のかかる子を授かったので、職から離れることを選んだのだから、悔いはないはずなのに、それでもまだ「職」はわたしの一部だと思っていた。いつでも復帰できる気がしていた。しかし、世間から見れば、今のわたしは「週一で文章教室をやっている主婦」くらいな感じだ。

子育て、家事を含め、どれだけハードな日常をこなしても、誰も褒めてはくれない。自尊感情がどんどん失われていく。パートを探す時「どうせわたしなんて、資格もスキルもないから無理だ」と思う。「こんなわたしでも大丈夫かしら」と思う。それが、積み重なって、自分の心を蝕んでいたことに、ようやく気づいた。

昨日の面接ですっかり抜け殻になったわたしは、今朝も起き上がれず、やっとの思いでムスメを起こして学校に行かせた。そして抜け殻のまま、どうにかこうにか友だちの働く店に行った。「久しぶり!元気?」と挨拶されたが、「元気だよ」とは言えなかった。黙っていたら「あらま。抜け殻だわ。どうしたの。意識が入ってない。」と言われた。そうだわたしは抜け殻なんだ。わたしは一体何者だ。外側の殻だけが残って、中身は空っぽ。そう思うと心がクシャッとしぼんだ。

友だちの働く店は、木のおもちゃや文具、オーガニックの食品や化粧品を扱う。陳列されたかわいい木製のアイテムを眺めたり、触ったりした。
子ブタ、ハリネズミ、カタツムリ、きのこ、すべすべした木肌の手触りにホッとしたのがわかる。そして、仕事の合間をみて、友だちが話しかけてくれた。「なんかあったの?」

ムスメが幼稚園から6年生の時まで一緒に過ごした子育て仲間だ。濃密な時間を過ごしたので、その時の仲間とは、社交辞令も、相手の出方を見るようなことはしない。いきなり本題に入る。
「なんか、しんどくて。自分に価値がないような気がして。」

彼女は言った。「今の日本の社会は、18歳から65歳までの男性が中心。しかも健常者で、異性愛者しか会員と認められないの。そういう人たちが生きやすいシステムに作り上げられてきたのよ。女性に生まれた時点で、すでに準会員でしかないの。それが現実よ。それにわたしたちは、子育てや教育の志向がマイノリティだから、準会員の中でもさらに居場所は狭いんだよね。」そう言われれば、腑に落ちることばかりだ。
「でも、それは見る側の問題。気にしなくていいのよ。」

彼女が淹れてくれたカモミールティを飲むと、抜け殻の輪郭がふやけてきた。殻は外界との境界線だ。人は、年とともに硬くなっていくその殻を脱ぐことはできない。「外界との境界線をにじませ、心を柔軟にするには、水彩を描くといいのよ」と彼女が笑った。わたしにはお金で買えない財産があるんだ、と再確認して家路についた。


サポートいただけたら、次の記事のネタ探しに使わせていただきます。