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とむらい

不謹慎かもしれないが、この写真の中にうっすらオレンジ色に見えるのは、金魚の遺体である。頭から尾ひれまでの長さは約15センチくらいある。

フリースクールの教室で8年くらい生きた金魚が死んだ。その金魚は、水槽に一匹だけで生きていた。3年前にわたしが勤め始めた時、担任の先生が教室に入ると、水槽の中の温度計を頭でつついてカタカタと音をたて、自分の存在をアピールしていた。餌を求めての行動だろうが、もしかしたら先生に挨拶をしていたのかもしれない。そうやって何年もの間、教室のアイドルの座を誰に譲ることもなく、毎朝誰かに餌をもらって、当たり前のように存在していた。

「水槽の掃除をしましょう」と声をかけると、夏でも冬でも、中学生たちは汚れたフィルターのパイプや砂利を丁寧に洗い、重い水槽も洗って、水を満たした。ピカピカになった水槽を優雅に泳ぐ金魚の姿にうっとりした。オレンジ色の尾ひれがふわりと揺れる姿や、パクパクと動く口元が可愛らしいと思えた。そうやって、みんなを癒していた。

この4月になって、わたしは教室にあまり入らなくなった。3月までは毎日のように様子を見ていたが、4月からは忙しさのあまり、水槽に近寄ることもなくなった。5月のある日、「金魚の元気がないです」と教科の先生から言われ、見に行った。体が白いモヤのようなものに包まれている。カビだ。細菌が繁殖してしまったのだ。金魚はヒレを畳んで、水槽の底にじっとして動かない。ペットショップに行って動画を見せたら、「うーん、これは正直、もう厳しい状態です。エラがめくれてますし、免疫力がかなり落ちてます。イチかバチかで薬浴をさせるのはアリですけど、あまり期待できないです」と言われてしまった。わたしは担任と一緒に水槽を洗い、殺菌効果のある薬浴をさせた。そして、復活を祈った。

この時、耳を疑ったのは「もう肺が機能してなくて苦しいはずだから、安楽死させたほうがいい」という上司の意見だった。まだ生きているのに殺すなんてできないし、安楽死ってどうやれば苦しまずに死ねるというのか。

そして1週間。薬が効いたのか、持ち直した。カビも消え、エラの腫れも引いた。わたしたちは水槽の水を入れ替えて、新しい水草、新しいフィルターを設置して、様子を見た。このまま不死鳥のように蘇り、また何年も生きてくれるような気がしていた。

しかし、さらに1週間。週明けに出勤したら、担任から「金魚がお亡くなりになっています」と告げられた。うそおおお。と教室に駆け込むと、水槽の底に息もせず横たわっていた。相変わらずオレンジの体は美しく、ウロコはツヤツヤと光っていた。ちょっとつつくとスイッと泳ぎ出すのではないかと思えた。

そしてまた、再び耳を疑う声を聞くことになる。「トイレに流せばいいよ」。あるいは「そのまま埋めたら分解に時間がかかるし、雨でも降ったら無惨な姿が現れるかもしれないので、細かく刻んでミンチにしたらどうですか」という声もあった。

あまりの驚きに声が出ず、息を呑んだ。確かに、生ゴミと一緒に出すことだって可能だ。でもそんなことはしたくない。わたしたちは、一旦、冷凍することにした。職員室の冷凍庫にはアイスがぎゅうぎゅうに入っていたので、その上にトレイを乗せた。三日間、どうしたらいいか考えに考えた。

結論。川に還すことにした。砂地に埋めて、雨の増水や満潮などで土砂と一緒に流されて海へ還っていく。もしくは他の生き物に食べられて、食物連鎖の一環となる。

フードパックに、紙で包んだ金魚を安置して、わたしはバスに揺られて海に近い川へ行った。砂地を掘って、包んだ紙から金魚だけを取り出して、埋めた。コロンとしたオレンジ色の体が、いつにも増して鮮やかで、砂をかぶせると光が消えるように見えなくなっていった。
さよなら、さよなら、ありがとう。

わたしは軽くなったフードパックを持ち帰り、ゴミ箱に入れた。金魚を弔ったのは、これが初めてで、おそらく最後である。






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