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目の前の景色を作る

長いトンネルだった。(長文失礼します)

出産を機に仕事をやめて、まともに復帰もできぬまま10年が過ぎた頃、カルチャーセンターの受付に、パートで働き始めた。過去の実績や、わたしが持っているスキルとは全く関係ない仕事。レジも対面の仕事も初めてだったし、ロッカーに呼び出しのメモを貼られることも、今まで経験したことがなかった。ずいぶん年下の正社員から、仕事の内容から服装まで厳しく指導を受け、その度にすみませんすみませんと頭を下げ、なんとか続けた。オットの転職で仕事が続けられなくなった時、正直ホッとしたところもある。

その後、仕事はしたかったが、乗り気にもなれなかった。失敗して叱られるのがとても怖いのだ。失敗があっても、そこを修正しながら前に進めば、長く続けられるだろうことは想像がつく。人に頭を下げたり、使えない人と言われるのは、まあなんとか耐えられた。でも、身内の小言はつらい。新しい仕事をしようと試みたが、「あなたには無理」とオットから何度も言われた。「そのメンタルではやっていけない」「どうせまた失敗してパニックになる」「周囲はたまったもんじゃない」「まず、年齢が無理」と言われ続けた。でも働いて欲しいと言う。そして必ず「あなたに合った仕事を探せ」と言った。

ないじゃん。そんな仕事。あなたが思っている「そんなんじゃやっていけないわたし」に、「その年齢じゃ選ばれないわたし」に、一体なにができるだろうか。毎晩、スマホを持ち込んだ寝床で、求人アプリをスクロールしながら、これも無理、ああ、これも無理だろうな、と思い続けていた。

「りかよんさんに、コピーライターとして、お仕事のお願いがあります。」と手紙をもらった。もう十数年も会っていない年下の友だちで、ムスメの習い事で一緒だった人だ。コピーライター?いや、もうできんやろ。こんなに頭がサビついていたら、いいコピーは書けっこない。でも、彼女の丁寧な文字が並んだ文面に癒され、会ってみたい、と思った。書くかどうか、会ってから決めよう。ダメそうだったら、他の人を紹介しよう。

久しぶりに会った彼女は、すっかり日焼けして、オーバーオールを着てやってきた。それが仕事着なのだ。「農業を本気で始めて、一年になります」
それはfacebookで知っていた。彼女の転身ぶりは素晴らしかった。ナチュラル系のおしゃれ主婦から一気に米農家に。しかも、誰ともつるまずに。

彼女の作るお米には、美味しさだけではなく、誰かを元気にしたい、笑顔にしたい、という信念が込められている。品種改良による過剰な糖質がなく、原種としての強さがある。しかも、庶民が日常的に買える価格の無農薬米。

キャッチフレーズは彼女が考えていた。その理由も聞いた。納得した。そして、キラキラした目で、熱く熱く、米作りやその思いを語る彼女に、わたしは「書かせてください!」と、メモ帳にペンを走らせた。

書けばいいんだ。わからなかったら調べればいい。もっと聞けばいい。相手が気に入らなかったら、書き直していけばいい。ああ、そうだった。強い気持ちが大事なんだ。この「よさ」を人に伝えていく。それこそが広告だった。コピーを書く仕事が、そうでなくてなんなんだ。

1週間後、わたしは、刺激的でも感動的でもないが、彼女の気持ちを丁寧にボディコピーに込めて、書き上げた。それを気に入ってもらえた。すごく大きな達成感があった。ありがとうありがとう。

翌日、パートの仕事の最終面接があった。「あなたはこれまでいくつもの仕事をしてこられましたね。つかみどころがないんですが、本業と言えるのはなんですか」と聞かれた。確かにそうだった。でも、カルチャーセンターを除いては、どの職場でもわたしは「書いて」いた。広告、広報、台本、文章教室、とにかく書いていたのだ。

「わたしは、書くことが仕事なんです」ときっぱり言った。言霊から勇気をもらった。背筋が伸びていた。心の中で、オットの言葉を全部笑えた。あれはイヤミではなく、きっと心配だったんだ。あれは過保護で過干渉の親と同じ。彼は、わたしの保護者ではない。オットとして見ていこう。対等に見ていなかったのは彼ではなく、わたしの方だったのだ。モラハラをさせていたのは、オットに依存して自分を卑下したわたしだった。もう、誰かが作ってくれる景色をただ見ているだけでは「わたし」がダメになる。それがわかったら、トンネルの向こうに光が見えてきた。

今朝、オットは朝寝したわたしとムスメを起こさずに、自分で朝食を作って食べて出かけた。

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