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まんかい

近所に桜並木がある。毎年、ほんの一週間くらいしか咲かないのに、その道を通るたびに「桜が咲くのが待ち遠しいなあ」と思う。

それなのに、つぼみが膨らみ始める頃から、「まだ咲かないでくれ」と思う。桜の開花に、わたしが間に合ってない。何が間に合ってないのかは、わからない。ただ「もうちょっと待ってくれ」と思う。

そして、桜が咲き始めると「まだ間に合うだろうか」と思う。何が間に合うのか、依然としてわからないままなのだが、「今ならまだ、間に合うかもしれない」と思っている。雨が降り始めると、「待ってくれ。まだ間に合ってないのに」と思う。

わたしは桜に何をコントロールされているのだろう。それとも、わたしが桜をコントロールしようとしているのか。

あれだ。

ジェットコースターみたいな感じなのだ。咲き始めたら一気に花開き、容赦ないく散っていく桜は、一度坂道を登り始めたらもう引き返せないジェットコースターのようだ。頂点までのぼり詰めたら、あとは一気に降っていく。桜が一気に散るのを止められないのと同じだ。

だから、つぼみが濃いピンク色になってきたら、もうこれは止められないのだ、というあきらめと同時に、止まってくれという願いが同時に心を占めるのだ。

当然、今年も桜は待ったなしに咲き誇っている。わたしのスケジュールとか、気持ちとか、そういうのは全く関係なく、ただそこにある桜並木はピンク色の綿菓子を纏ったように枝がフワフワと膨んでいるように見える。

満開になった後、ひと晩かふた晩、その道を通らないうちに、もう葉桜になっている。「間に合わなかったか」と思う。「来年もまた、ここで桜が見られるだろうか」と不安にもなる。どうして桜はこんなにも情緒を乱してくるのだろう。なぜ桜にこんなに思い入れが強いのだろう。

いや待て。

公園のいちょう並木でも、同じことを思うじゃないか。黄緑色だった葉が、夏に一気に濃くなり、やがてそれが黄色に染まる。そしてハラハラと散り始める。同じことを思う。「間に合わなかった」。しかし、桜とはちょっと違う。「待ってくれ」とは思わない。なぜだろう。気づいた時にはもう「間に合わなかったか…」という気持ちになっている。

自然は様子を変えながら、しかし、毎年同じように目の前に現れる。その繰り返しを見てきて、若い頃はホッとしていたなと思う。今は何を見ても、焦りを感じる。残された時間が少なくなっているのだと感じる。あと何回、この花を見ることができるのか、この葉を眺めることができるのか。

桜の頃はいつも、情緒が不安定だ。

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