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もうすぐお盆だから祖先のことを② 戦争末期の混乱期

ご訪問ありがとうございます。まだお喋りはほんの少しな2歳半息子と4ヶ月の娘を子育て中のリケジョママです。

普段は発達障害や子育てのことを主に書いている私ですが、お盆直前の今は、少しばかり脱線して祖先の話を連載しています。前話はこちら。

いよいよ鎌倉も危険に

東京や横浜にも空襲が来るようになって、祖母が住んでいた鎌倉もいよいよ危なくなってきました。

そこで遠い親戚を頼って祖母と弟さんは東北の方へ疎開することを検討し出したんだとか。そこで、祖母は1人列車に乗って下見へ。(疎開するのに下見とかしてたんですね。初めて知りました。)

当時、祖母は女学校に行っていたそうなので、16歳とか、そのくらいの歳。1人で下見に行くとは、本当に心細かったことでしょう。

疎開の下見でまさかの・・・

下見をしに行った祖母の元になんと「ハハキトク、スグモドレ」という電報が。

祖母の母は、特に病気もしていたわけでもないので、寝耳に水状態。すぐに列車に乗って鎌倉まで帰ることに。

しかし、鎌倉に着く頃にはすでに亡くなってしまい、「火葬場に来い」という伝言を受け取った祖母。

お空へ旅立つ母に「何もお供えするものがない」と思った祖母は、木になっていた果物を見つけると、母にお供えしようと、その果物をとったそうです。

ところが・・・。

実母の火葬に立ち会えなかった祖母

果物をとった祖母は「泥棒!!!」と言われ、警察に連れて行かれてしまったそう。果物ひとつが本当に貴重だった時代だからでしょう。

そのまま警察で事情聴取をされ、その日には釈放されたそうですが、母の火葬には間に合わず。

すでに姉・父と立て続けに亡くしている祖母は、お兄さんと弟さんと祖母の3人だけになってしまったそうです。

戦後の混乱期

そうこうしているうちに、終戦を迎え銀行に就職した祖母。新小岩に住みつつ、都心に通勤する生活を送ったそう。

通勤中には2回死ぬかと思った出来事があったそうで・・。

一回目は超満員電車になんとか乗ったものの、何と扉が閉まらないまま発車してしまった時。高架を走る電車にしがみついてなんとか助かったそう。

二回目は、満員電車に乗れず電車を見送った時に、コートがドアに挟まってしまったそうです。そのまま電車が発車してしまい、電車と一緒に走る羽目になったそう。

もうすぐホームが終わって「死ぬ!」と思った瞬間に、コートがドアから外れて助かったんだとか。

いやー、今の電車事情からは考えられないですよね。日本でなくて、どこか別の国の話のように感じます。

結婚して幸せに

その後、親戚の紹介で知り合った祖父と結婚し、子宝にも恵まれ、さらに時は経ち私を含む4人の孫たちと3世代同居で賑やかな晩年を送った祖母。

私が就職で実家を離れるため、「元気でね」と握手して見送ってくれた2日後に、自宅で亡くなってしまいました。

今でもその時握手した祖母の温かく柔らかい手の感触が忘れられません。

祖母のことを思い出し、語り継ぐことが供養になると思って書きました。
プライベートの話に最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございます。

どうぞよしなに。

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