備忘録0109

今日は絶対にこれをしないようにしようと心に誓ったことが、夜にはもう破綻している、なんてことがしばしばある。四十を超えて自覚するのはとても恥ずかしいが、やはりどうも自分には多動的・衝動的な一面があり、Aのことを考えていても、Bを考え始めるとAを失念してしまう、ということがよく起こるのだ。

最近も、朝方に小学校の用意をロクにしようとしない娘を怒鳴ってしまい、これではもうダメだ、心を入れ替えねばと思っていても、またその日の夜には「何をやってんだ」と声を荒げてしまい自己嫌悪に陥る、なんてことも、娘の成長とともに増えている気がする。

そのたびに自分はどうしようもない人間だなとか思う。だが、どうしようもない人間を脱却するためにできる次の工夫を考えるところまではいかない、という根っからのダメさがある。結局、どうしようもない人間のままで、心に誓ったことすら散歩歩いたらもう忘れてしまっているのだ。

そういうどうしようもない人間のために「ルーティン」というものがあるのかもしれないと最近よく考える。宗教的な儀礼などもそうかもしれない。例えば朝、神棚の水を新しくする。仏壇に線香を手向け、手を合わせる。そういう、なにか小さくてもいいから毎日儀式的な行いをすることで、これをしないようにしろよ、アレを忘れてはいけないぞと日々心に小さな誓いを立て、過ちを繰り返さないようにしているのではないか。弱き者、愚かな者ほど、そういうルーティングが必要なのだと思う。

思えばずっとそういうルーティンを持たないでやってきた。なんだか定型的なものに押し込められるようでイヤだったのだが、ルーティンがないから、本当にその日の気分次第だから、昨日「明日はこれをしよう」と心に誓ったことすら忘れてしまい、ダラダラをした気持ちで過ごしてしまうのではないかとようやく反省し始めている。

毎日、神棚の水を入れ替えながら自分の弱さに向き合ったり、今日やるべきこと、やってはいけないことを考える。自分には、そんな小さな儀式が必要だと思う。まさに神棚に手を合わせ、仏壇に線香をあげるように、小さな祈りや自戒を込めて、こうして備忘録をつけ始めた。今後も続くかはわからないけれど、忙しいなりに、西川先生の本も読み進めている。何か書きたいことが、明日もきっと見つかるはずだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?