見出し画像

11.8 共事をつくる

noteには日々のレポートをなんて書いておきながら2週間ですっかり坊主になっていた。日々のことを書き綴るにも忍耐力がいるよなあ。仕事でひたすら文章書いているのにプライベートで書く余裕なんてないぜ(じゃあnoteなんてやるなよという話だけれど)。子どもの寝かしつけもあるし。

10月21日の週は、締め切りの近づいている「紙のいごく」のフェス特集号のテキストや、隔月で連載を持っている「ゲンロンβ」のテキスト、さらには、その他もろもろのテキストを書いて仕上げた。広報を手伝っている小名浜のサンマ仲卸、上野台豊商店さんもサンマシーズンになって忙しさを増してきた。小名浜港にも水揚げが来そうだし、朝早い出番が増えそうだ。

翌週は28日と29日で、月1で通っている浜松のNPO法人クリエイティブサポートレッツへ訪問。30日は東京大学農学部の弥生講堂を会場にした「食生活ジャーナリストの会」のシンポジウムに講師として招かれ、31日はグッドデザイン賞の授賞式に趣くという3泊4日の大出張。胃と肝臓を痛めつけた。

レッツへの観光については、レッツの「表現未満、マガジン」というオウンドメディアに毎月2本ずつ4、5000字くらいのテキストを書いている。レッツの取り組みは本当に面白くて、表現ってなんだろうとか、障害ってなんだろうとか、なかなか答えは出ないけれど考える価値のある哲学的な体験をさせてもらっている。ここのところのぼくのテーマの「共事」についても、ものすごくいい示唆をもらっている気がしている。

ここ最近は、編集者やライターの友人たちと一緒に観光する作戦で、前回は編集者の影山裕樹さんを、今回は島根県津和野で高校の下宿を運営しつつ批評誌『レトリカ』を発行している瀬下翔太くんをそれぞれ誘った。二人のテキストも遠からずアップされると思うのでお楽しみに。

食生活ジャーナリストの会のシンポでは、HPVワクチンについて舌鋒鋭く発信を行なっている医師でジャーナリストの村中璃子さんとぼくがゲストであった。ぼくと村中さんのアプローチは大きく違うけれど、ジャーナリストやメディアが「専門知と一般の人たちを架橋する役割」を果たすべきというところでは議論が一致したのかなあと思っている。

原発事故後の放射線に関して、「リスコミ」が「リスク管理」になっていること、科学的権威主義に陥ることの危険性や、相手に対する理解と尊重が遠回りのように見えるけれど欠かせないよな、というような話をした。あとはメディアってもっと現場に入るべきだし、もっと地域のプレイヤー側に立った方がいいよねという、最近色々なメディアで主張している話もさせてもらった。

プロフェッショナルや専門家、当事者は「縦軸」で関わらざるを得ないのに対し、まぼくはそもそも専門性もなければ当事者性も薄く、別に科学者でもなければ大学教授でもないので気楽なもので、だけれどぼくはその「薄い当事者性」を水平方向に「横軸」で拡張していくことはできる。つまるところそれが「共事」なわけだけれど、素人だからこそ、初心者だからこそ向けられる共感というものもある気がするんだよなあ。

さて、31日のグッドデザイン賞は最高の結果だった。編集・ライターとして関わっている地域包括の取り組み「いごく」が、なんと今年度のグッドデザイン賞の金賞・ファイナリスト5位という結果。ベスト100の時点で「やばっ」と思ったけれど、無印やSONYなどビッグブランドに混じってのファイナリストは痛快ですらあった。編集長の猪狩さんや、地域の愛すべきジジババたち、地域包括に関わる全ての人たちに感謝多謝。

この「いごく」については、ゲンロンβの連載にも詳しく書いたのだけれど、この活動って自治体の行政サービスであるだけではもちろんなく、メディア制作やイベント企画という領域のものであるだけでなく、老いや死という人生最大の課題に「面白がる」という行為を通じて接近し、不真面目さでもって語りにくさを突破するという、ものすごく思想的な営為であると思っている。

例えば、なんだか不謹慎に楽しんでいたら、考えるつもりもなかったのに、いつのまにか老いとか死とか、介護や福祉について思い馳せていた、考えさせられていたという、いわゆる「中動態」的な要素も入っていたりするのが面白いところ。「共事」の文脈で語れることも多くあり、関わっていてとても面白い。いごくのウェブサイトがグッドデザイン仕様になっているので、未読の方は是非 igoku.jp まで。

11月4日の週(つまり今週)は、ゲンロンβのテキストの直しをしつつ、3ヶ月に1回当番が回ってくる朝日新聞の連載「思考のプリズム」を書きつつ、雑誌『TURNS』の連載を書ききった。7日&8日は、雑誌『地域人』の渡邊直樹編集長をお迎えして浜通りツアーを敢行。ツアーの模様は新年の『地域人』に掲載されるそうなので、ぜひご覧頂きたい。

雑誌『TURNS』の連載では、物事を「これは何々である」で語るのではなく、「でもない」で語ることの重要性について書いた。なんのことかというと、人は何事も「これは何々だ」と、「これこそ何々だ」と説明することで理解しようとするけれど、地方では「何々でもなければ何々でもない」みたいに、説明不可能な事象や人と出会うことが多い。その「説明できなさ」と向き合うことこそ、実は地方を面白がるコツなんじゃないかみたいなことを書いた。

朝日新聞の連載と、ゲンロンβの連載では、台風19号水害で叫ばれる「ボランティア」について書いた。ボランティアが必要とされ、ボランティアが求められ、そのボランティアに必要な心構えや必要な装備、正しいやり方や知識がネットで紹介されるたび、ボランティアに参加することのハードルが上がっているように感じる自分がいる。

いや、ボランティアに参加すべきだし、時間があればぼくもできるだけ参加したいと思っている。ボランティアが足りないのもよくわかる。けれど、ボランティアって「善意」で成り立っているものだし、それがはじめからあてにされていることには危惧を覚える。足りないのは公的な支援なんじゃないかなあ。ボランティアが足りないと叫ぶほど、ボランティアに参加していない人の無責任を批判するような空気にならないか。そう懸念している。

ボランティアの位置づけや、災害復旧を担う主体について国や自治体含めて考え直すタイミングが来ている気がするし、それが国や県の仕事じゃないかという気もする。震災と原発事故もそうだったけれど、猛然と働く有志をアテにしすぎだ。重い使命感を持って取り組んでいた地元の人が、ある日突然倒れてしまったり燃え尽きてしまったのを何回か見た気がする。そうならないためにも「災害復旧の主体」を問い直すタイミングなんだろうなあと、そんな話。

課題が見えると、課題が重いほど高い専門性や当事者性が必要だと思われがちだけれど、プロフェッショナルな関わりはそれとして尊重しつつ、わずかな当事者性だって水平展開に拡張して、「あなたのそれも当事者かもしれない」「無関係じゃない」「それもまたあり」という「当事者性の気づき」みたいなものも種まきしていかないと関わってくれる人が増えない。その種まきこそ「共事」の根幹だ。

ぼくのような専門性のない、けれど何事にもどこかで関わりを持っていたいという面倒な類の人間が、そうした「共事の種まき」みたいなことをしていければいいと思っている。専門家や学者は、常に知識を教え伝える側にいるけれど、ぼくのようなのはボトムアップで下から共事できる。ぼくの名乗っている「地域活動家」というのも、まあつまり、そういうことをする人間のことだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?