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移住するなら福島へ、という話の続き

つい先日、福島県の移住促進のイベントに参加して、1時間ほど移住に関する話をしてきた。テーマは「ゆる移住」。ぼくのリアルなUターン話と、Uターン直後の生活で感じたこと、今の活動についてなどを「移住の心構え」みたいな感じにリパッケージして話をさせてもらったのだが、

ものすごく簡単に要約しちゃうと、「ここ最近めっちゃいい感じのローカル系メディアがたくさん登場しているけれど、そういうのを参考にすればするほど、夢も広がる一方で、「正しい移住」とか「移住の正解」を自分で決めちゃったりしてませんか? その地域のよさを享受するには意外と時間もかかるし、どこでも意外と暮らせるんで、悩んでるならえいっと移住しちゃった方が早いっすよ、おれなんてこんな感じでしたもん、ゆるくいきましょうぜ」みたいな、まあ身もふたもない話をした。

移住や地方暮らしといえば、タイミングよく、雑誌『TURNS』でも連載をやらせてもらっていてテキストも溜まってきてるし、今回の講演でもその連載で書いたことがとても役に立ったので、講演を補足する意味で、連載の草稿を読み返しつつ、移住フェアのトークでみなさんに伝えたかったことをまとめてみた。移住を考えている人の背中を押したいなんて言うとおこがましいので、朝のトイレタイムの暇つぶしにでも使ってもらえたら幸いである。

地方暮らしを伝えるメディアに触れていると、自分もこんな風に楽しめたらいいな、これはすごいなと胸を踊らせることがある。けれどその一方で、「おれには到底無理じゃねえかな」と妙に尻込みしてしまったり、そもそも移住先で生活していけるのか心配になってしまったりもする。メディアに紹介されている人たちっていつもキラキラしているから、気持ちも高ぶるけれど、何者でもない自分と比べてしまって、自分で勝手に移住のハードルをあげてしまうのかもしれない。

地域の魅力を発信するメディアだから、パッとしない事例や、他県と差別化しにくいもの、「実際ここがキツい」なんて話や、地方暮らしの普通の日常はなかなか書けない。その地域の面白いもの、興味深い取り組み、頑張っている人の声を紹介するのが役割。でも・・・・という話。

先日、いわきで、移住に関するトークイベントを取材したときのことだ。いわき市内の会社に転職した男性が(実際には彼はものすごく意義のある仕事をしているのに)、自分は独立して起業したわけでも明確な目的があったわけでもなく、妻の実家が近いということ以外にいわきには縁もなかったということを謙虚に述懐していたのが印象に残っている。

ぼくも「自分が引き継ぐ家もあるし、母ちゃんも父ちゃんもいるし、なんとかなっぺ」とぼんやり戻ってきたタチだ。だから、彼の決してネガティブではないがポジティブでもないリアルな述懐が心地よかったし、移住ってけっこうそんなもんだよなと共感できたのだった。血反吐を吐きながら成功した人の真似なんて、そうそうできるものじゃない。普通に暮らしてる人にこそ普通に移住するためのノウハウがあるんだよなあと。

Uターン・Iターンと言っても、パートナーが移住を決めた先についていく人も多いし、なんとなく気になっていた土地になんとなく就職する人もいる。勤めている会社の都合で移住してくる人もいる。親の都合で移住をさせられる子どももいる。福島県には原発事故によって移住を余儀なくされた人も多い。明確に、自分の意思で、目的を持って移住してくる人ばかりではない。けれど、そういう人たちの声は、なかなか聞こえてこない。

地方で楽しく暮らしたいと思えばこそメディアを見るわけだけれど、そこにあるのは成功例ばかりで、それらを無意識に追いかけざるを得なくなって、キラキラした成功例を参照するうちに、正しい移住の姿や成功のための道のりを意識してしまい、余計に二の足を踏んでしまう。あるいは、理想と現実のギャップが生まれてしまう。そんなことがあると思う。

だからほんとうは、メディアでもっと普通の暮らしぶりが取り上げられていいはずだし、正しい解を求めて二の足を踏んでいるくらいなら移住してしまったほうが話が早い(だってみんな普通に転職して引っ越ししてるわけだし)、という気もする。だからまず考えなければいけないのは、移住のハードルを下げることだ。稼げなくてもいい。思い切って「最終的に食えればいい」と割り切ってしまえばいいと。

で、そういう趣旨で今回の講演のテーマが「ゆる移住」になったわけだけれど、この「ゆる移住」で大事なのは「諦め」から始めることだ。高い理想を捨てて、目の前の現実から始めるのである。

ぼくは、どうせ地元では好きな仕事では食えないのだから夕方以降に好きなことをすればいいと諦めて「UDOK.」というスペースを作った。職場もとりあえず食えればいいと中小企業に飛び込んだし、手取り20万は厳しいかもという諦めから、「ならば現物支給だ」と生産者の仕事を手伝うようになった。知り合いを作ろうとウェブマガジンを立ち上げ、インタビューに明け暮れているうち、いつのまにか仲間ができ、生産者とつながり、食卓は豊かになり、結果、食い扶持も生まれて独立することができた。全部えいっとやってみた結果。「地域活動家」には、作戦もクソもなかったのだ。

見切り発車でもいいから、とにかく移住しちゃうのである。どの町だってどの村だって、そこで生きている人はいる。あなただってきっと生きられる。そしてその現実に合わせてスタイルを作り上げればいい。移住とは、いつだって切り拓いた者の後ろにできあがるのだから。

移住する。それでよし。そこから組み立てられる暮らしのなかに、あなただけのノウハウが生まれ、それが次に来る者の勇気になる。そしてそのうえで、個々のノウハウを集合知にすべく、移住(希望)者同士で連携していけたらいいんじゃないかしらと、そんな話をさせてもらった。

大前提として、「移住」とは「レールを外れた生き方」であり続けている。社会から見れば移住のハードルは低くなく、一旦乗りかけた人生のレールを外れるリスクを勘案する人も多い。そのような社会において、移住とはもはや「レールを外れた生き方」だ。自分でレールを引くしかないマイノリティなのである。一旦レールを外れるわけだから、大きく外れようと小さく外れようと脱線することには変わりないのだ。ぼくはその「自覚」から始めるべきだと思う。

移住者とは地元民にとって「ハプニング」のようなもの。これまで多くの人が意識してきた地元のルールは通用しないし、人間関係にも縛られない。足並みを揃えず勝手にイベントをやるし、挨拶もなしに勝手にテナントを借りてしまうこともある。会合には顔も出してくれないし、結構批判的なことも言ってくる。しかしそれでいて、移住者が開いた場には見慣れない人たちが集まり、地元民が飽き飽きしてしまったものを心底楽しんでいるようにも見える。迷惑だとも言えず、かと言って全員大歓迎とも言い難い。

多くの地元にとって、移住者とは本来そのような扱い難いもの、コントロールできないふわっとした存在であるはずだ。

固定しがちなコミュニティを攪拌し、地元の常識にとらわれずに外部の目線を挿入し、地元民が価値を見出せなかったものに新たな価値を付与してくれるかもしれない移住者は、本来歓迎されるべき存在だとぼくは思う。地元に遠慮する必要はない。人間関係に縛られずに「異物」を貫いて、自分のスタイルを作ってほしい。

最近は、どこもかしこも競い合うようにして移住者を募り、家や仕事を用意し、マッチングイベントや出会いの場を供給し続けている。「地域おこし協力隊」にいたっては、その人にふさわしい具体的な業務とベーシックインカムまでつけてくれる。けれどそういう狙いのもとでは、移住者とは賑わいを創出してくれる人であり、産業のなり手になってくれる人であり、人手不足を解消してくれる人である。つまり、あらかじめ「目的」や「期待される役割」が設定されているのだ。

もちろん自分になんらかのスキルがあり、移住の目的が明確にあるのならばそのような移住もいいかもしれない。ただ、明確な目的や役割がある以上、そこにはその目的を達成してくれた人か、そうでなかった人かのふた通りの評価しか存在しかない。移住者に本来期待される「エラー」がないのだ。

そもそもが異端である移住者が、狭苦しい役割を当てられて使い古されてはもったいない。移住者が全国各地で求められる時代だからこそ、移住者の最大の価値である外部性を、今一度意識して守れたらいいなと思う。

そこで必要になるのが、移住者同士がつながれる回路だ。地元に過度に依存しなくても悩みを共有できるコミュニティ、仕事を融通し合えるネットワーク、互いに情報やノウハウを持ち寄れるチャンネル。地元に入り込みつつも適度に距離を置くことができるような環境があれば、移住者は自らの持つ外部性を守りながら足場を築くことができるはず。

なんというか、つまり、移住には仲間が必要なんだね。

その点、福島にはすでにいろいろな人たちが移り住んでいる。気合いの入った人もいれば謎の人もいる。復興の最前線にいる人もいれば、おや? あれ? という人もいる。もちろん移住者ばかりでなく、その地に長く過ごしてきた人もいる。多様だからこそ別のだれか(例えばあなた)にフィットする先輩や友人にすぐ出会えるかもしれないという土地なのだ。

ご存知のように、やたらと課題は大きいのだけれど、課題が大きいからこそ新しい仲間は歓迎されるし、すでにソトモノも多いし、ソトモノの先輩たちが地元の人たちとうまいことやってたりする。課題はむちゃくちゃ多いのだけれど、それをまあゆるり時間かけて突破しようぜという人もその分多くて、ものすごい学びもあるし、活躍の場も余白もある。地域の顔が連携してるし、どこかで誰かとすぐにつながる。そういうところも福島らしさ。

福島とは、だから、えいっとやってきた人たちを受け止められる地域であり、その意味で移住しやすい土地であり、そういう「人」こそ福島の魅力なのではないか、ということだ。というわけで移住フェアの講演では「だからこそ移住するなら福島へ」というまとめに入るわけだけれど、

まあそれ以上に、美しい海があり、水揚げされたばかりの魚が食べられて、車で20分も走れば温泉街があって、酒屋に行けば福島県産の地酒が何種類も売られてて、冬暖かく夏は涼しく、ハワイもあり、最近は大きなサッカークラブもできて、旧産炭地には最高の母ちゃんたちもいて(写真)、それでいて原発事故や震災のこともしっかりと学べて、東京にもほど近い。やはり我らがいわきが最高である。

なんなら小名浜にはソープランドもある。今すぐ移住しろとは言わないので、ひとっ風呂浴びたあと(温泉でもいいしソープでもいい)、キリリと冷やした地酒片手に、メヒカリの開きだの、ヤナギの干したのだの、さっと茹でたホッキだの、脂がジュワジュワ言ってる焼きたてのサンマだの、ニンニクをたっぷりとつけていただくカツオ刺しをですね、存分に召し上がってもらいたい。

その土地にある最高にうまいもの(と酒)を、仲間や家族と食らう。それ以上の喜びはないと、いわきに戻ってちょうど10年の僕なんぞは思うわけであります。そしてその楽しんだ結果の副産物として、山積みになった地域の課題や、わたし(やあなた)の課題が、少しずつ解消していけばいいなと思う。

月並みだけれど、移住のノウハウや正解なんてものは本当はなくて、もし正解があるとすれば、それは自分で作ればいい。結局その人だけの物語がその人の後ろにできていくと、まあそういうことなのではないかしら。

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