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福祉はおいしい

先日、浜松市のNPO法人「クリエイティブサポートレッツ」のイベントにスピーカーとして参加してきた。パソコンのファイルを整理しているときにふとその日のプレゼン資料を見返すことになり、ううむ、これは福祉に関わりのない人たちや、専門性のない人たちにも読まれるべきでは? と思い至り、それで、備忘録的に書きとどめておくことにした。本稿は、そのイベントでぼくが行ったプレゼンの内容をまとめたものだ。

レッツは、世間的には障害福祉のNPO法人である。けれど、中身はもう少し謎というかなんというか、複雑かつ過激であり、障害のある人たちの「表現」を大事にし、福祉なのかアートなのかよくわからない事業を推進している。浜松市内で「たけし文化センター」と「のヴァ公民館」という2つの文化施設を運営し、アートや演劇、音楽、映画など様々な領域の人たちととともに様々な企画も行っている。福祉事業所なのに代表の久保田翠さんが「芸術選奨新人賞」を受賞していたりと、かなり謎の法人だ。

ぼくは縁あって今年度レッツの活動に参画させてもらっている。月に一度レッツの運営する場所を「観光」し、そこでの日々を書き綴るというもので、今回のイベントもその地続きに行われたものだ。ぼくが呼ばれたトークイベントでは、秋田公立美術大学教授でアーティストの藤浩志さん、レッツ代表の久保田翠さんとぼくの3人で、レッツの掲げる「表現未満、」についてひとしきり語りあった。本稿はその際の冒頭のプレゼンをもとに書かれている。

前置きが長くなったが本題に入ろう。

プレゼンのタイトルは「福祉はおいしい」だ。全国の福祉関係者から怒られてしまいそうなタイトルだけれど、言いたいことは、一言で言うならば「福祉に関わることで得られるものは多いぜ、みんな関わらないと損だぜ」という感じになるだろうか。

ぼくは、レッツ以外にも、いわき市のNPO法人ソーシャルデザインワークスの情報発信にも関わらせてもらっていて、取材や打ち合わせで、よく現場に立ち会うのだけれど、障害福祉の現場では、社会の見え方が変わってしまうような衝撃、価値観を揺さぶられる体験、何日も考え込んでしまうような深い思索が日常的に繰り広げられている。実に魅力的な学びの場なのだ。だから、その魅力を多くの人に知ってもらいたいと勝手に考えている。

もちろん、そのような生温いことが言えるのは、ぼくが支援や業務から解放された、ある種「観光客」的な立ち位置だからだろう。つまり、専門家でも当事者でもない立場だからこそ勝手に言えるわけだ。それはよくわかっている。

けれど、福祉施設の外に一歩出てみれば、直接に支援したり研究したりしている人ばかりが存在しているわけではない。むしろ「自分は障害福祉とは関係がない」と思っている人がほとんどだろう。無関心も広がっているだろうし、専門知が通用しない場面も多いのではないだろうか。

課題が重いほど、内と外は乖離する。そのような状況では、なんの専門性もないぼくの「おいしい」思い出が、内と外に橋を架けることになってしまうのではないかと思うし、強い当事者性や専門性を生かした共感や啓発ではなく、素人らしさ・外部性そのものが、わずかな当事者性を拡張する駆動力になり得るのではないか、とも思っている。

プレゼンの冒頭ではまず、障害福祉に関わったことで生まれた自分の変化や気づきについて話した。福祉に関わって、自分にも偏見があったことに気づいたのだ。目の前にいる人を、自分の頭の中にある「ナントカ障害」という言葉に当てはめたいたり、「障害があったらきっとあれもこれもできないだろう」とか「福祉の現場ってものすごく大変に違いない」と決めつけていたり。偏見をいくつも持っていたことに気づかされた。

世の中では社会包摂が叫ばれている。だからぼくだって障害についてそれなりに学んできた。だが、それがかえって良くなかったのだろう。学ぼうと思って「言葉だけ」学んでしまっていた。障害の名前や特性だけに捉われてしまい、それで障害を理解したつもりになっていたのだ。

ひとしきり障害福祉に関わってみると、他者に対する理解がいかに浅かったかを反省したくなったし、社会の捉え方も一面的だったなと気付かされた。レッツに通うようになって、一見すると「迷惑行為」だと思ってしまう行為にも理由があったり、その人にしか理解し得ないような「こだわり」があることにも気づかされた。

気づかされたことばかりだ。どれも障害福祉に関わる人たちからしたら当たり前のことかもしれない。けれど、ぼくはそれすらも知らない。素人だから、学ぶことしかない。得るものしかないのだった。

いつしか、ぼくの人の付き合い方も変わってきた。例えば、ぼくは妻や娘とよく口論になったりするわけだが、ぼくをイライラさせる妻や娘の行為にも独特のこだわりがあるのかもしれない、だからまずはそれを探ってみようと思えるようになったし、これまでは街の中で障害者を見ると、何か手伝わなくてはいけないのではないか、きっと彼らは困っているはずだと先回りして支援したくなっていたけれど、今では「これに困ってます」と意思表示された時に対応すればいいやと自然体になった気がする。

これまでは「ふざけんなよ」とか「あり得ないだろ」と腹を立てていたことにも、「なんでそうなった?」とか「うお、それすごい面白いかも」と一呼吸置いて思えるようになったし、もう少しじっくり話を聞いてみようとか、観察してみようとか、一定の距離を保てるようになった気もする。障害福祉の現場は、ぼくをすっかり変えてしまったのだ。

福祉の現場では、上に書いたようなコミュニケーションが日常的に行われている。だから、現場のスタッフと話すことはとても面白い。福祉施設には、ぼくにとって新鮮な驚きと面白さが常在しているのだ。異文化コミュニケーションと言っていいかもしれない。と言ってもスタッフが話す言葉は日本語だからとても学びやすいし、基本的には「人と社会」の話だから自分ごととして理解しやすいのがいい。

その学びはいつだって外に開かれている。「小松さんは素人なんだからもっと勉強してください」と怒られるわけでも、「最低このくらいは知識として持っていてください」と注文をつけられるわけでもない。むしろ「福祉の外の目線で関わってください」と、ぼくの外部性が歓迎されることすらあるのだ。しかも、そんなぼくが関わって書いた文章に、原稿料や執筆料まで払ってくれるのである。なんたる幸福・・・。

なぜぼくのようなソトモノが排除されないのだろう。ぼくは障害福祉の「社会モデル」が鍵だと思っている。社会モデルとは、障害や困難を、個人ではなく社会の側にあるとする考えだ。本人を訓練したりするのではなく、環境のほうに改善を求めるようなアプローチなので、施設のバリアフリーや、福祉の外にいる、我々一般市民の理解を深めようとする動きが求められる。

だから、ぼくのような素人が排除されないのだろう。いや、排除されないというより、社会の側にある偏見や差別をなくそうというアプローチなので、解決のための賽は常にぼくたちの方に投げられている。ぼくたちが主たるプレイヤーなのだ。だから、「社会モデル」の存在する福祉業界においては、素人であることは卑下すべきことにはならない。

外から見ると、障害福祉の業界は、ものすごく過酷な業界であるように見える。課題が大きいがゆえに、経験のある福祉職員や、専門性の高い学者や専門家が求められているように見えてしまう。「ぼくらのような素人は出る幕ない」と思ってしまいがちだ。けれど、実際はそうではないと思う。素人にも出る幕があるのが福祉(とりわけ社会モデル)なのだ。

特に、障害者個人ではなく、社会の側に変化を求めるような法人ならなおさら外部への発信を求めていたり、これまで関わりのなかった人に関わって欲しいと思っていたり、新たな担い手を求めていたり、次の世代の関心を求めていたりする。

たしかに、現場の人からしたら「お前みたいな “いっちょ噛み” こそがありがた迷惑なんだ」と思う人もいるだろう。けれど、素人や部外者を排除してしまったら、その仕事の面白さや魅力は新たに伝わらない。新しい福祉の担い手も獲得できない。となると、今ものすごく現場で苦労している人たちは、さらに苦労を背負うことになってしまう。

現場の人の「ソトモノうざい」もわかる気がする。なぜなら、そういう感覚を原発事故後の福島でも感じたことがあるからだ。「その程度で福島に関わろうとしてんの?」とか、「中途半端な気持ちで関わるなよ」とか。ゆるっと視察に来た大学生とかを見てイライラしかけた時期もあった。

けれども、課題が重いからこそ、外部の人たち、新しく関心を持ってくれる人たちを排除してはいけないし、ふまじめでポジティブな動機があるからこそ「誤配」が生まれる。やはり外に開いていかないといけないとぼくは考えるようになったし、だからこそ、外部に拡張しうる「食・観光・文化芸術」を被災地で起動したいと思って日々活動している。

それと同じように、課題が大きい領域だからこそ、地域の多様な人たちが地域の福祉に“気軽に”関わって欲しいと思うのだ。

いわゆる「地域づくり」を掲げている人や、「ライター」や「編集者」など発信に関わる人たち、アートやクリエイティブに興味のある人ほど、障害福祉にタッチしたほうがいい。地域クリエイターの働く場は、目下、農水や起業や観光ばかり。もっと福祉に関る人が増えたら、色々なところで化学反応が起きてくるとぼくは思っている。働き場所も、そこにある。

と同時に、福祉事業所の側も、自分たちの場をオープンに開いて、もっと地域のプレイヤーに託してもらいたい。標語だけで「障害に理解を」なんて言ってないでもっと地域に開いていくべきだ。施設の多くは「弱者」としての障害者を再生産するばかりで、彼らを社会に引っ張り出してくることは少ない。「守られるべき対象」に押し込めてしまっているように見える。

たまに授産施設のプロダクツなどが売られていたりするけれど、ものすごくパターン化されたものが多くて、マーケティングやデザインが考慮されていない。ああ、やっぱり開かれてないんだなあ、もったいないなあ、といつも感じている。

地域のプレイヤーと福祉施設の間に接点がないのは、社会の大きな損失ではないだろうか。お互いが出会うことでもっと相乗効果が生まれ、面白い取り組みが全国各地で繰り広げられるようになったら、結果的に、社会の受容力や包摂力も高まってくるはずだ。

もちろん、外に開かないほうがいい場合もあるし、専門職の人たちでじっくりと向き合うべき人たちもいるから、議論は慎重にやらなければいけないのは承知している。けれど、それにしたって、現場はあまりにも開かれなさすぎているような気がするし、そりゃあ社会の理解も進まねえだろうよ、とか思ってしまうのだ。

そこで大事なことは、「福祉ってものすごく面白い」と思っている「外部の人たち」が声を上げることだ。障害福祉の中にいる人たちに「もっと発信しろ」と要求するのではなく、外部の人たちが声をあげればいい。

レッツは、「利用者のどんな些細な行為にも、その人たらしめているものが存在するのだから、それこそを大事にしていこう」という姿勢を貫いている。障害ゆえに意志を発することが難しい人たちに対しても、あの手この手で接近して、大胆な仮説で「きっとこの人はこれをしたいのではないか」とアイデアを巡らせていく。そういうことが得意な法人に見える。

それと同じように、ぼくたちだって、地域の福祉施設や法人の活動を観察し、研究し、関わりしろを拡張し、時に並走しながら、「彼らがやろうとしていることはこういうことなのでは?」とか、「彼らが目指していることはどういうことなのでは?」とか想像しながら、外部からその姿をあぶり出していくことができるのではないか。たぶんそれは「批評」というものにつながる。

障害に対するイメージの過酷さゆえに、謎の自主規制が働いて、思慮深い人ほど「正しい知識がない自分に関わる資格はないのでは?」と思ってしまったり、世の中が「多様」になるほど高度な忖度や配慮が求められ、「実はすげえ気になってました」みたいな純粋な興味を発露しにくなったりしているように感じるけれど、二の足を踏んでいるくらいなら「えいや」っと関わってしまった方がいいし、外側から気楽に「楽しそう」と言えるようにならないと、本当に開かれたことにはならないのではないだろうか。

素人だからこそ、何も知らないからこそ「障害」や「病名」ではなく「人そのもの」に行き着く道が開かれているのかもしれないし、仕事や業務から離れているからこそ福祉の原初的な面白さに触れる機会が増えるのかもしれない。プロには想像もできない新たな関わりが生まれてくるかもしれない。

そんな関わりしろを作っていくために求められるのは、自分も関わっていいんだ、自分も関わっているんだという「わずかな当事者性」だ。いや、当事者意識を持てと言うのは酷かもしれないし、当事者という言葉はすぐに「非当事者」も生み出してしまう。だからこう言い換えよう。当事者としての自覚を持つことはできなくても、事を共にはしている、つまり「共事者」としての自覚なら持てるかもしれないと。

高い当事者性や専門性が求められる課題領域は確かにある。あるのだけれど、その「外部」にいるぼくたちだって、外側にいる状態のままで、当事者や専門家の声を聞きつつも、観光客のようにゆるりと関わることができるはず。それが「共事」の考え方だ。

では「福祉の共事者」を生み出すために何が必要か。福祉の中の人が語る福祉の魅力だけではなく、「福祉の外の人」が語る福祉の魅力“も”発信することではないだろうか。福祉事業所を展開しているわけでもない。家族に障害者がいるわけでもない。ヘルパーでも医師でもケアマネでもない。研究者でも専門家でもない。完全など素人だけれど、わずかな当事者性を有する「共事者」として発信できることがあるはずだからだ。

専門性の低さゆえ怒られることもあるかもしれないけれど、それも含めての学びである。当事者の声を聞きつつ、社会の一員として何ができるかを考えながら、福祉の面白さを素人なりに発信していきたい。

多少、新しい要素を付け加えたけれど、プレゼンで話したのは、大まかに以上のようなことである。このような話に耳を傾けてくださった皆さん、話す機会を与えてくださったレッツ代表の久保田さんに改めて感謝とビッグリスペクトを。

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