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the hatch presents『the justice』について

7月9日のことである。
わたしは西沢水産ビルという建物にいた。
the hatchが主催するパーティー『The Justice』に出演するために。

札幌の中心区からはやや外れた場所にある、年季の入ったビルを丸ごと借り切って行われた一昼夜のイヴェントで、入場者数延べ300人超、出演者/出店者の総数は120数名。

つまり、概算でいって400人以上の人間がひしめきあっていたワケで、
比喩ではなくリアルに大変な熱気が立ち込めており、
ロック・バンドが主催するイヴェントとしてムッチャクチャ大成功だったと思う。
それは単に、観客がたくさん入ったからというだけでない。
『the justice』というネーミングを真に体現した、グッド・ヴァイヴスなパーティーだったのだ。

かつて政治哲学者のジョン・ロールズはこう言った、
ジャスティスとはフェアネス、つまり公正であることだと。
自由と平等こそが正義の基本的原則であり、我々は他人に良い影響を与えるために行動しなくてはならない、とロールズは説いた。

そういう意味合いにおいて、あの空間はまさにジャスティスを体現していたと思う。演者と観客がフェアな関係をむすび、それぞれが自主性を持って、
音楽を愛する一個人として参加していた。

一杯のビールから30センチのスペースまで、あらゆるサムシングを分かち合い、
よろこびやたのしみをシェアしようとする共有の精神が存在していた。
つまりは自由だ。自由とは、野放図に好き勝手することではない。
自らに由ることだ。じぶんの能力を最大限に発揮するための機会を持つことだ。

僕がライヴを観たのはほんの一部に過ぎないので、
こんなことを書くのは大袈裟なのかもしれないけれど、でも書く。
あの日、あそこに集まった人々はみんな、最高のパフォーマンスをしたと思う。
演者はもちろん、料理人も、写真家も、スタッフも、そして観客も、
それぞれがなすべきことを、最高のかたちで表現していた。
あふれんばかりのグッドヴァイヴスの中で、
みずからが信じる、うつくしいもののために。

こうした自由で平等な空間をつくりあげられたのは、他ならぬthe hatchへの信頼によるものだろう。

バンドをやるということに、パーティーをやるということに、
“何もそこまで”ってぐらいに誠実に取り組む彼らだからこそ、
『The Justice』は成立したのだと思う。

彼らはこの日も、オーガナイザー然としたりせず、
会場のあちこちを飛び回っては『○○マジで絶対観たほうがいいよ!』とか『××のライヴ超ヤバかった!』とか言ってハシャいでいた。

誰もえらくならないこと。全員が対等な参加者であること。
インディペンデントの基本原理とは、フェアな姿勢とシェアする精神なのだと思う。

わたしはこの日、ヤングラヴというバンドで出演した。
音出しのためにフロアに足を踏み入れると、
熱気と湿気がものすごいことになっており、コンクリートの床は雨上がりのごとき様相を呈していて、何もしていなくても若干の息苦しささえ感じるほどだった。
わたしはスーツに着替えると、トイレの鏡のまえで髪を整えたのち、
じぶんの顔をじっと見てから、『よし、完全に気が狂った。行こう。』と言って、ステージに上がった。

わたしたちはソウルミュージックという音楽を演奏した。
ソウルミュージックの使命は大まかに分けるとふたつある、
ひとつは、ロマンティックなムードを高めるセクシーなBGM、
そしてもうひとつは、あらゆる闇と傷ついたハートを光で照らし、人生を一瞬にしてすっかり変えてしまうことだ。
真に平和で、何の問題もない、生きやすい世界などというものは、多次元宇宙をすべて探してみてもどこにもない。だからこそソウルミュージックという音楽は存在し、こんなにもわたしたちの胸を熱く締め付けるのだと思う。

ライヴが終わり、イヴェントが幕を閉じてからも、わたしはずっと幸せだった。
友達がいて、音楽が鳴っているということが、うれしくてうれしくてたまらなかった。

こんなふうに最高のパーティーに出くわしたとき、わたしはいつも、ミラーボールの発明者について考える。

ミラーボールを誰が発明したのか、というのは謎に包まれている。
1920年代に世界中のナイトクラブで大流行したということは記録に残っているが、正確な起源は、百年経ったいまも謎のままだ。
ただ、とにかく、百年前、どこかの誰かが、ふと、思いついたのだ、
大きな玉に切った鏡を貼り付けて、
それを天井から吊るしてグルグル回してみよう、と。

世界で最初のミラーボールを製作している最中、
彼、もしくは彼女は『そんなもん作って何になるんだよ』と言われたかもしれない。
その意味や、理由について、問いただされたかもしれない。
だが、彼、もしくは彼女は、そんなことはまるで気にしちゃいなかっただろう。

なぜ、ミラーボールが存在するのか。なぜ、ミラーボールは回転するのか。
一度でもダンスフロアに降り立ったことがある人なら、誰だって知っているはずだ。
意味なんかいらないよね。理由だって必要ない。
なぜなら、音楽が、すべての答えだからだ。


そんなことを考えながら、ひとりでそうかと頷いたりして、
一ヶ月が経ったいまも、わたしはときどき『The Justice』の余韻に浸ったりしているワケなのである。




photo by @yuinogiwa_

『The Justice』presented by @thehatch1192


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