アントニオ猪木の訃報を知ったのはザキヤマからだった。そのとき僕は日当たりの良い縁側で、みどりとリョウケンと並んでストレッチを行なっていた。まさかこんなタイミングで猪木の死を知るとは思わなかった。僕はプロレスファンでも猪木イズムの信奉者でもないが、アントニオ猪木のことは敬愛している。プロレスや格闘技にさほど興味がなくても、日本のサブカルチャーをある程度掘っていくといつか必ず猪木にブチ当たる。猪木のYouTubeチャンネルは凄い。ネガティヴ・アプローチでもお涙頂戴でもなく『老い』を真摯に見せている。表現者として卓越している。

　そんなことを考えながらしみじみしていると、『猪木はたびたび帝国ホテルを女性と共に訪れ、毎回必ず一杯5000円のメロンジュースを奢っていた』という、“どこ情報だよ”的な謎のタレコミが飛び出し、『やっぱり猪木は凄いナァ』などと言って一同盛り上がったのだった。猪木の冥福は特に祈らない。あれほど才気に溢れた巨魁が冥土で福に恵まれぬワケがないからだ。僕ごときが祈るまでもない。アントニオ猪木さん、ありがとうございました。

　そんなこんなで皆がいそいそと出発の準備をしていると、早くも支度を終わらせたリョウケンが居間にあったアコースティック・ギターでブルースを弾き出した。無視を決めこみながらも、この男は本当にギターがうまいな、と感心しているとみどりが突如、唇を尖らせながら言った。

「ちょっと、朝からブルースやめて。朝からブルース聴きたくないわ。ギター弾くのはいいけどブルースはやめて」

　するとリョウケンはギターを爪弾きながらみどりの前に立ちはだかり、毅然とした態度で声高らかにこう言った。

「だって俺、ブルース生まれだから！！」

　そのあとも丁々発止のやり取りがあり、最終的に妥協案としてリョウケンが外に出てひとりでギターを弾くことで双方和解した。

　午前10時頃、我々はクルマに乗り込んで出発した。目的地は温泉である。天気は快晴、空には雲ひとつなく、草と水の匂いのする大気は塵一本なく澄み切っていた。その温泉は山中にあるということだったが、越えても越えても山、大自然の中をthe hatch号はひた走った。そうしてやがて、眼下に川が見えたとき、一同はたちまち色めき立った。

「うわ、川あんじゃん。めっちゃいい川。絶対あそこ行きたい。どっかクルマ停めて一回川行こう」

　三度の飯より川が好きな男・山田みどりこと小林キンモクセイが発したこの鶴の一声に、我々は一切の異論なく賛同した。濃緑の色を湛えて渦巻くその清流のうつくしさは、僕たちの心を掴んで離さなかった。早速クルマを停めて、川のほうへ降りてみようとウロウロしたのだが、どこからどう降りていけばいいものか解らずに途方に暮れていると、近隣住民のおじいさんを発見した。みどりはすぐさまおじいさんの元へと向かった。

「すみませーん。あそこの下の川に行きたいんですけど、どこ通っていったら行けますか？」

　それからみどりとおじいさんはしばし会話を交わしていたが、どういうワケかおじいさんの庭先にあった鳥避けのカカシをいじったのち、こちらへ戻ってきた。

「おじいさん、なんて言ってた？」
「いや、わかんねえ。何言ってるか全然わかんなかった。わかんなかったけどとりあえず庭のカカシの軍手、ちゃんと両方とも中指立てるように直しといた」

　そして、道路に向かって中指を立てる二体のカカシを通り過ぎ、ついに川の方へと降りていけそうな道を発見した。僕とみどりとザキヤマは背丈ほどある草をかき分け、しっとりと濡れた急な斜面を慎重に進み、そうしてついに川辺へと到達した。到着して二秒でみどりとザキヤマは服を脱ぎ川へと飛び込んだ。

「やべ〜〜〜。キマる〜〜〜〜。マジ最高〜〜〜」

　そんなことを言いながら、温泉に浸かる山猿のような恍惚とした表情で、ふたりは川に浸かっていた。

　ひとしきり川を堪能したのち、我々はまたぞろクルマに乗り込んで温泉へと向かった。運転席のザキヤマは「さっきの川でマジで目ぇ覚めた。超元気出たわ」といいながらハンドルを握っていた。

　小一時間ほどで温泉に辿り着き、ひとっ風呂を浴びたのち、メンバーは『枡はんの郡山ブラック』を食うぞ、と息巻いていた。なんでも郡山ブラックというのは濃口醤油を使用した黒いスープが特徴のご当地ラーメンだそうで、枡はんはその有名店のひとつということだった。前回、the hatchが郡山に来たとき、二回外食をするタイミングがあったのだが、二回ともこの店に行ったらしい。札幌バンドマン屈指のグルメであるみどり曰く『人生で食べたラーメンの中で一番美味い』とのことだった。そうまで言われたら絶対に食いたい。しかしながら、川遊びが仇となり、ギリギリランチタイムに間に合わず、この計画は頓挫した。

　やむなくほかの“郡山ブラック”を出すラーメン屋へと向かったのだが、完食後、店を出たメンバーは全員『ラーメンよりねぎ飯が美味かった』と口々にいった。僕的には普通に美味しかったのだが、枡はんの郡山ブラックは余裕でこれを越えるということだった。ザキヤマは『ねぎ飯は確かに美味かった。でも正直あれは盗める』などと、頼もしい盗賊の頭みたいなことをいっていた。

　風呂にも入り飯も食い、いよいよRebel One Excalibur主催"ON THE BEACH"の会場、 studio tissue★boxへ向かう流れとなった。ここからは車中の会話の一部を紹介する。発言者の名は伏せるので各自想像されたし。

「そーいやさー、こないだ○○のライヴんとき、ハンチング被ってた子いたじゃん。終わったあと結構話したんだけど、あの子の名前ド忘れしちゃってさあ。あの子って名前なんだったっけ？」
「え？　ハンチング？」
「そう。たぶん○○くん界隈の人」
「ハンチングってあれでしょ、ほらあの〜〜〜……ヤバい、名前出てこない。ミスった」
「何が？」
「いや、いまギャグで全然違うタレントの名前出そうと思ったんだけど、そのタレントの名前が出てこなかった。いるじゃん、ハンチング被ってて、酒飲みキャラの」
「玉袋筋太郎？」
「誰！？」
「え、玉袋筋太郎知らない？　芸人の」
「ヤバいね、そんな名前の芸人いんの！？」
「名前が名前だからずっとNHK出禁だったんだけど、最近“玉ちゃん”って名前でようやく出れるようになったんだよ。ハンチング被ってるかどうか知らないけど、酒飲みキャラだよ」
「いや、その人じゃない。誰だったっけ、うわ〜〜、思い出してえ……」
「吉田類？」
「それ！　よかった〜、今マジでめっちゃスッキリした、危なかったわ」
「吉田類って一日に酒５升飲むらしいね」
「５升！？　いかつ！　５升とか死ぬでしょ余裕で」
「俺こないだ親父と話しててさー、“吉田類って職業に就職したいね”って話で盛り上がったわ。毎日酒飲みながら喋ってそれで金になんのマジで最高の人生じゃない？」
「それは本当にすばらしい人生だね。普通に人類の夢」
「ていうか話超変わるけど、俺こないだチェンソーマン1巻だけ読んだわ。正直結構微妙だったんだけど、こっから面白くなる？」
「あ〜〜〜〜、悩ましいね。全然そっから超盛り上がるけど、でもみどり好きじゃないかもしんない。どっちかっていうとファイアパンチの方が好きだと思うわ」
「俺こないだチェンソーマン全巻読んだよ」
「マジで？　意外。リョウケンああいうの読むんだ」
「うん。リキマルはマキマさん好きなんでしょ？」
「好き、超好き、マジで糞好き。っていうかあんなもん全員好きでしょ。カリスマ性高すぎだもん。リョウケンは誰好き？」
「俺はパワーちゃんかな〜」
「あー、リョウケンがパワーちゃん好きなの超わかるわ。いいよねパワーちゃん」
「マジいい」
「じゃあワンピースだったら誰好き？」
「そんなんニコ・ロビンに決まってんじゃん」
「いやそれは完全にそうだね。俺も絶対ロビンだわ。インパルスの板倉もロビンマジで好きって言ってたし」
「ロビンはマジでいい、ロビンはマジで最高なんだけど、俺は髪長くなってからのナミもかなり好き」
「あ〜〜〜〜〜〜〜。あるね」
「じゃあBLEACHだったら誰好き？」
「そんなんお前、夜一さんに決まってんじゃん」
「俺もどう考えても夜一さんだね。普通に結婚したいもん」
「俺は織姫かなあ」
「じゃあNARUTOは？」
「それはマジで即答できる、普通にヒナタ。余裕でヒナタだね」
「ええ〜〜？　だってヒナタずっと白目剥いてんじゃん。俺は絶対テマリだね。ああいう子超好き」
「じゃあ遊戯王だったら？」
「ブラックマジシャンガールっしょ。だってあいつ優しいじゃん」

　

　……こうして我々は『ジャンプの各作品で一番好きな女性キャラ』話で盛り上がったのだった。ツアー中のバンドマンは車中でどんな会話をしているのか、というのは誰しも気になるところだろうが、この話題が一度たりとも飛び出さないバンドワゴンなど存在しない。断言できる。あなたの好きなあのバンドやこのバンドも、ツアー中はこの話題で盛り上がっている。確実に。絶対。

　とにかくこんな調子で延々と駄弁り続けながら、我々はついにRebel One Excalibur主催"ON THE BEACH"の会場、 studio tissue★boxへと向かったのであった。

　が、途中でハードオフを発見したため、すぐさま駐車場へと急行する運びになった。

　これまた断言するが、バンドマンはツアー中にハードオフを見つけたら絶対に行くことになっている。これはもはや義務のようなもので、古来より伝わるバンドマンの習わしといってよい。入店するなり、みどりは『こんにちはー！』と声を張り上げた。そうすると他の店員がそれにつられて挨拶をするので、山びこみたいでなんか楽しいのだという独自のライフハックを教示してくれた。

　そして我々は楽器コーナーへと向かい、『モッキンバードかっけー。俺絶対ギター買うときモッキンバード買うわ』とか『うわこのベース、俺が初めて買ったベースの色違いだ。超懐かしい』などとひとしきり漫喫したのち、ついにRebel One Excalibur主催"ON THE BEACH"の会場、 studio tissue★boxへと向かったのであった。

（つづく）