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半世紀前、遠い未来と遥かな世界を見据えて造られた日本酒を飲んで

酒造レポート「木戸泉酒造」

「50年…熟成ですか…?」
私は、半信半疑でその茶褐色の液体が注がれたグラスを眺めていました。
いくらこれが熟成を前提として造られたお酒だったとしても、日本酒を50年も寝かせれば、腐るかとても飲めたものではない枯れ切った風味になっていて当然だと思いました。
でも、せっかくの機会です。思い出に残ればいいか…日本酒好きとしては気になるし…と、正直あまり期待しない気持ちで、そのグラスを傾けました。

その時に受けた衝撃そのままに、この記事を書いています。

1970年、大阪万博

 戦争から立ち直りつつあった日本が、世界中の先端技術に沸き立ち、まばゆいばかりの未来に目を輝かせていたころ、太平洋に面した房総半島の片隅で、世界を志して醸された一本の日本酒がありました。
 千葉県、いすみ市。JR東日本 外房線と、菜の花の絶景などで有名ないすみ鉄道が交差する「大原」駅から徒歩五分の場所に、その酒を醸した酒蔵「木戸泉酒造」があります。約半世紀前に、現在に至るまでもほとんど真似する者がいないくらい型破りな酒造りの手法に挑戦し、それを今現在まで受け継いでいる蔵です。
 今回の記事では(といっても初回なのですが)、その蔵に取材に行った私が受けた衝撃と、蔵元の方々から聞いたお話を、日本酒の未来やこれまでの歴史と絡めながら私なりにまとめていきたいと思います。

大原駅プラットフォーム(筆者撮影)

激動の時代に揉まれた、日本酒という文化

 日本酒は、主食である米で作ったお酒です。そのため当然、昭和の戦乱の時代の中で、物資が不足し政府からの規制が強くなるにしたがって、生き延びるためにその姿を大きく変えざるを得ませんでした。

朝日新聞社「朝日歴史写真ライブラリー 戦争と庶民1940-1949 第4巻」より ※画像内で飲んでいるのは、三増酒ではなくカストリ酒です。


 話は、大阪万博より前の1960年代まで遡ります。1960年代は、戦争から立ち直ったといっても、国民はまだまだ貧しく、酒の質というより、とにかく安く早く酔えることが大切な時代でした。そのため、「三増酒」という、純粋なアルコールで3倍に薄めた日本酒が広く出回りました。昭和の貧しい中で、カストリ酒などの密造酒に流れないようにという工夫の賜物で、アルコールの添加自体はまったく悪いことではないのですが、度が過ぎたアルコールや糖類の添加により酒の質と風味は落ち、日本酒=悪酔いするものとして負のイメージが定着するようになってしまいました。
 ですがその後、各酒蔵の様々な努力や時代の流れによって、日本酒の質は再び向上していきました。例えば、1975年くらいに到来した地酒ブームや、醸造技術の向上などが挙げられます。各地の酒蔵が、急速に豊かになる日本とともに酒質を一心に向上させたことで、今日の日本酒の世界が実現できています。そう考えると、戦後の日本酒の歴史は、一度下落した日本酒の質やイメージとの戦いだったとも言えると思います。激動の時代に、脈々と日本酒の文化を守り続けてきた先人たちには、感謝してもしきれません。
 ただ、そんな時代の最中でも、全く違う考え方で酒を造っている蔵がありました。それが「木戸泉酒造」です。

禁忌の風味を生かす

 木戸泉酒造が当時からチャレンジしていたのは、忌み嫌われる味だった「酸味」を生かした、濃厚な味の酒造りでした。日本酒における酸味は、2000年代に入ってからこそ注目されるようになった風味ですが、もともとは酒の質の悪さや腐敗を意味する味だったため、造りの過程においてはなるべく酸味を出さないことが重要視されていました。その当時の常識とは真反対を行く酒造りをしていたのです。

世界を目の当たりにして

万博の様子(万博記念公園 公式ホームページより)

 そのチャレンジをしたきっかけの一つが、1970年に大阪で開催された「日本万国博覧会」だったと言います。世界中の技術や文化が一気に日本に流入し、それを日本人がどんどん取り入れていく様子を見て、木戸泉の三代目蔵元である荘司勇氏は、こう思ったそうです。
 「日本の食文化が多様化していくのに合わせて、日本酒の味も多様化するべきだ。そう、西洋の食事に合う、白ワインのような酸味を持つ日本酒が必要だ…」と。
 そうして出来たのが、日本酒離れした強烈な酸味と濃厚な風味を持つ「afs」という銘柄の日本酒です。

「afs」ロゴ。afsの名は、開発に関わった3人の名前の頭文字を取って名付けられている

これが、1971年のことです。今でこそ、「白ワインみたい!」と評されるフルーティな日本酒は多くあります。しかし、安く早く酔えることが重視され、高度経済成長期にも入りかけでしかない日本の中で、これから来る食の多様化の時代に合わせた日本酒の姿まで視野に入れ、さらに忌避されてきた酸味をむしろ最大限押し出した造りをしたことは、あまりにも先見の明がありすぎてある種狂っているとしかいいようがありません。

「旨き良き酒」を理念に、飛躍し続ける「afs」

 木戸泉酒造は、「旨き良き酒」という理念を掲げ、さらに造りを飛躍させていきました。その一つが、完全な自然醸造にこだわったことです。つまり、人工的なものを一切加えないオーガニックな酒造りです。
 「オーガニック」という考え方も、今でこそ当たり前になった概念ですが、1970年代当時は、世界中がただひたすら経済成長に邁進し、大量生産大量消費を正義とする時でした。日本酒も例にもれず、その当時は、大衆に出回る酒においては、冒頭にも述べたアルコールを大量に添加する三増酒や、添加物が使用されることが当たり前でした。その中で、世界を見据えた酒造りをしながら、完全自然醸造にこだわるというのは、並大抵の覚悟ではありませんでした。
 それ以外にも、「afs」には独特な点があります。それは、米をほとんど磨かない、ということです。普通、日本酒の精米歩合(磨き具合)は70%以下であることが多く、いわゆる大吟醸なら50%以下、さらに磨いたりもします。しかし、afsの精米歩合は、ほとんどが65~90%になっています。
 なぜ米を磨かないのか?それはシンプルに、磨いた分だけ、無駄にする米の量も多いからです。それもまた、なるべく自然のままに醸造するという理念のもとで行われています。

地雷×地雷=afs

 世界の食と合わせることを見据えた「酸味」の重要性にこだわる「afs」ですが、その強烈な味を実現する破天荒な醸造技術があります。それが、「高温山廃酛」という技術です。その技術こそが、afsの味の根幹であり歴史そのものと言えるでしょう。
 そもそも、日本酒の「質」とは、どのように形作られているものなのでしょうか?日本酒の質を上げるにあたって重要な点はいくつもありますが、常識とされているのは、「低温環境下」で醸すことです。そこには「雑菌の繁殖を抑える」という目的が第一にあります。きちんとした温度管理をしないと、日本酒の香りや味のもととなる酵母以外の菌があまりに活発に活動しすぎて、それらは結局「雑味」となって日本酒の味を落としてしまいます。
 しかし、木戸泉酒造の採用する「高温山廃酛」はその真反対を行きます。あえて、醸造時の温度を常識外の高温にまで上げるのです。
 高温山廃酛では、「高温」と名の付く通り、醸造時の温度を、「55度」と定めています。そうすることで、醸している酒の中はある種の滅菌状態になり、その後特定の酵母と乳酸菌が活発に活動できるフィールドができあがるのです。そうして出来上がった日本酒は、太いうまみと独特な香りを持ち、そして乳酸菌発酵による強烈な酸味を持つ酒になります。
 米をあまり磨かないのも、高温環境下で醸すのも、醸造技術が発展した現代ならいざ知らず、基本的には良質の酒造りにおいては忌避されるものでした。その地雷と地雷をかけ合わせて一つの酒にしてしまったのが、「afs」というお酒です。

木戸泉酒造の酒母室。(筆者撮影)ここで高温山廃酛の手法をもとに酒母をつくる。ちなみに「afs」は酒母をそのまま絞って酒にする「全量酒母造り」もしており、これも特異だが、解説が長くなってしまうので詳細は割愛。

荒々しい生命力をその身に宿して

さて、「破天荒な技術を使うのはいいけど、それでそもそも本当に美味しいの?」と思う人がいると思います。
 最終的には、飲んでいただいてすべてを判断してもらいたいのですが、私個人の主観から言うと、エレガントなシェリーのような酸味とボディ感がある、非常に独特でおいしいお酒になります。
 さらに、afsの風味には、奔放な菌の活動が生み出した、荒々しい生命力が息づいています。それは例えるならば、大吟醸が丁寧に剪定され管理された盆栽のようであれば、こちらは大自然そのものの大木のようです。幹は脈打ち、表面は荒れていますが、どこか圧倒されるような力が秘められている。それが、afsという酒の真価です。
 とはいえ、じつは、最初に作り始めた1970年代のころは、ほとんど売れなかったようです。先を見据えて大量に作りすぎてしまった酒が余ることになってしまいました。しかし、それは決して味の質が悪いというわけではなく、その時代に対してはあまりに先進的な味すぎて、受け入れられなかったという方が正しいかもしれません。結果的には、数年でafsの醸造を一度断念せざるを得なかったそうです。

その酒の味は、時を超えて花開き、実を結ぶ

 しかし、その失敗が、また違う形で花開くことになります。
 高温山廃酛で醸したafsは、高いアルコール度数と強烈な酸味を持っていたため、強い腐敗耐性があり、熟成で化ける可能性を秘めていました。そう、その当時作りすぎて残ってしまったafsは、数十年の時を経て、本当の力を発揮する時が来たのです。
 それは偶然ではありません。なぜなら実は、そもそも高温山廃酛というのは、冷蔵や保管技術が発達しておらず、長期間常温でおいても枯れない強い酒質が求められた古来からのやり方を大胆に解釈し、再構築したものだったからです。
 例えば、鎌倉時代、良質な日本酒と言えば、それはドロドロした茶色い油のような古酒だったとする説があります。あの日蓮上人が、そういった濃い古酒をかなり好んでいたという記述も残っています。
 室町時代になると、「三年酒」といった具合に熟成の年月もつけられるようになるくらい、しっかりと熟成の文化が育つようになりました。
 江戸時代には、搾りたての清酒より、3年~9年くらい寝かせた古酒の方が、数倍の値段で取引されていたという商取引の記述があります。
 もともと日本酒は、熟成によって価値が上がる文化でもあったのです。それは、寒い時期の造りが定番化しておらず、保管技術が発達していない時代だからこその文化でもありました。
 木戸泉酒造が採用した高温山廃酛という技術は、その狙い通りの強い酒質が幸いし、長期間の熟成の果てにその花を咲かせたのです。まさにそれは、古来からの日本酒の造り方を大胆に再構築したことがもたらした、スーパーなケガの功名でした。

1970年代からの「afs」が眠る蔵の様子(筆者撮影)

世界の裏側で飲まれる日本酒を志して

 さらに、afsが長期間の熟成で真価を発揮することすらも、木戸泉酒造の狙いの範疇だったとも言えるでしょう。
 なぜなら、1970年当時、この技術を取り入れてafsを作り上げた木戸泉の三代目蔵元、荘司勇氏は、海外への輸出を志していたからです。その当時の輸出方法と言えば、ほとんどが船での輸送でした。そのため、長期間不安定な環境に置かれる船旅に耐える強い酒質の日本酒が必要だったのです。その条件に、高温山廃酛で造られたafsは、味だけでなく酒質すらもばっちりとハマっていました。
 そこまで考えて、木戸泉酒造はこの酒を作り上げたのです。古来からの熟成の文化を大胆に再構築した高温山廃酛を操り、忌み嫌われていた酸味を全面に押し出したグローバルな味を実現し、日本酒が世界の裏側までおいしいまま届けられて飲まれる未来を、半世紀前から思い描いていたのです。
 結果的に当時たくさんは海外へ届かなかったかもしれませんが、それらは古酒となって現代まで蔵の中で引き継がれ、そして飲める酒のまま質が保たれています。

50年熟成のafsを口にしたとき

 冒頭に私が述べた、50年熟成のafsが注がれたグラスを傾けたとき、そこからは、ナッツのような香りやアーモンドのような香り、梅、山の木の実、実に様々で甘い香りが漂ってきました。その感覚はまさに、豊かなランシオ香を含むブランデーを飲んだ時のような感覚でした。
 またafsには、シェリーのような酸味とボディ感があります。この味は、きっと海外で受け入れられていくでしょう。エスニック・スパニッシュ、なんでも合います。そして、熟成にも向く酒質は、必ずビンテージによる価値向上に繋がります。そこに私は、日本酒の一つの未来を見たような気がしました。
 シェリーは、大航海時代を象徴する酒でした。船乗りたちの冒険心や好奇心、そしてまだ見ぬ大陸を夢見る気持ちと通ずる心が、木戸泉の味からは感じられます。日本酒という素晴らしい文化自体も、大海原を出て、まだまだ海外へ広めていけると信じています。

日本酒業界の光と影

 最後に、少しだけ余談をさせてください。
 そもそも、業界人でもなんでもない自分がこんな日本酒のレポートを書いているのには、理由があります。それは、今の日本酒業界は、素晴らしい酒質の向上や幅の広がりといった光の側面がありながらも、全体としては産業が縮小している傾向にあるので、「世の中にはこんなに面白くて美味い日本酒がある」と伝えたいからです。

 下の「日本酒消費量」のグラフを見ていただければ、日本酒が他の酒に押され、酒類全体の消費量の低下も相まって、なかなか肩身の狭い思いをしていることが分かると思います。

基礎研REPORT(冊子版)10月号「縮小するアルコール市場、その活路は?」より

 そして、消費量の減少傾向は、コロナによってさらに加速してしまいました。もちろんその分を海外への輸出で賄う動きも盛んですが、まだまだ全体の規模としては小さいのが現状です。
 もう一つ日本酒業界の生き残りを難しくしている理由を挙げると、それは「日本酒の価格がなかなか上がらないこと」です。例えば、ワインなどのお酒における「ビンテージ」のような形で日本酒に付加価値をつけるのが難しく、低価格での販売がほとんどとなってしまっているため、なかなか蔵に利益が還元されにくく、それも衰退の一因となっています。
 他に法的な問題なども大きいのですが、日本酒業界の問題を並べていくのはこのレポートの趣旨ではないので、このくらいにしておきます。
 ただ、「日本酒業界が衰退しそうだから日本酒飲んでくれ」は、ただ業界目線からの願望でしかありません。結局のところ、「飲んでうまいかどうか」が一番重要なのです。
 そういう意味では、私が今回取り上げた「木戸泉」という蔵は、日本酒の常識を右ストレートでぶっ壊すような造り方と味をしています。そして、上で課題点として挙げた「輸出」と「熟成」において、パイオニアのような存在でもあります。記事を抜きにしても、単純に「日本酒という既成概念をぶっ壊したいのであれば、これを飲んでほしい」と言える酒です。

木戸泉酒造「afs」のラインナップ

酒は「飲める芸術」であり「飲める文化」である

 日本酒は、その一滴の中に、日本の文化や風土、精神性、歴史が織り込まれた芸術だと思っています。さらに素晴らしいのは、いろんな知識を蓄えたうえで、飲みながら楽しめることです。感覚と知識を一緒に楽しむ、まさに大人の楽しみだと思います。
 そして、木戸泉が取り組んでいるような熟成もまた、素晴らしい芸術です。私は、熟成酒を飲むとき、造った人の思いをお酒が過去から未来へ届けてくれているような気がします。過去の人々には会えませんが、お酒を通じて私たちは過去に五感で触れることができます。

 日本酒の未来への期待と木戸泉酒造への愛を込めて、レポートの締めくくりとしたいと思います。


 

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