南アフリカ滞在記〜その光と影〜

タウンシップ(黒人居住区)。ケープタウンには未だ街のいたる所にある。
 
 
この夏、家族旅行でアフリカ大陸最南端に位置する南アフリカ共和国🇿🇦を訪れた。

父の仕事の影響で家族が別のアフリカの国に住んでいることや、単純に観光地としての魅力に惹かれ渡航が決まった。

また私が小学生の時、祖父に「ネルソン・マンデラ 自由へのたたかい」という本をプレゼントされたことをきっかけにこの国の歴史に興味を持ち始めた。
 
滞在は7月18日から23日と決して長くはなかったが、喜望峰やサファリなどケープタウンを思う存分堪能した。また、買ったばかりの一眼レフでたくさん写真を撮ったのでいくつか紹介したい。

日本でも有名な喜望峰。アフリカ大陸最南端と言われる場所だが、正確には最南西端である。

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シマウマ親子。At Aquilla Safari
ちなみに私の妹は生まれ変わったらシマウマになってこんな広大なサファリで人間に可愛がられたいらしい。

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今回は特に印象強かったタウンシップ(黒人居住区)の訪問についてお話したいと思う。
インターネットでリサーチした事実や、現地に赴いて感じたこと、そしてそこから考察したこともつらつら書いてみたいと思う。
 
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ちなみに私のお気に入りはサイ。
かっこいいもん。

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ご存知の方も多いと思うが、この南アフリカという国では長年「アパルトヘイト」[Apartheid]が行われていた。

「アパルトヘイト」とはアフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、白人と非白人(主に黒人)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。具体的には選挙権が与えられなかったり強制移住をさせられたりと、ことごとく人権を剥奪されていた。命を落とした人も多くいる。

今回はこの政策や当時の状況については割愛するが、興味のある人は色々調べてみて欲しい。

 

 こちら動画

(英語だが網羅的でわかりやすい。)


・アパルトヘイトは終わっていなかった

もしかしたらこのタイトルだと語弊があるかもしれない。

確かに1991年に南ア政府はアパルトヘイト関連法を撤廃している。今では以前のように公共施設が白人と非白人とで分けられているようなことはないし、黒人でも多くの子どもが義務教育を受けているだろう。

しかし、街を歩いているだけでひしひしと感じるものがあった。

経済格差だ。

少し高級な飲食店に行くとほとんどの場合、店員は黒人、客は白人だ。南アフリカはその魅力的な観光地や地理的な好条件からヨーロッパの人々が避暑地として訪れているということもあるが、いつ、どんなお店に行っても「店員は黒人、客は白人」という構造が顕著であった。あまりにもそうなので、やはり彼らの立場は逆転することがないのかと、思わざるを得なかった。

・タウンシップ訪問

7月22日、タウンシップツアーというものに家族で参加した。

タウンシップとは、アパルトヘイト時代に黒人専用の指定された居住区で、今も多くの人が留まっている。

 

最初にケープタウンのまちなかにある、ディストリック・シックス博物館(https://www.districtsix.co.za)に行った。その昔、差別されていた黒人が通っていた教会を博物館にしたという。ここでは主にアパルトヘイト政策が進められる中で、住む場所を制限され、迫害されたことについて詳しく書かれていた。

迫害された際、持ち出した少量の荷物。

ヨーロッパ人専用の椅子。

このように、当時の人々が使っていたものが数多く展示されていた。

人類の負の遺産である。

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その後、実際に黒人らが今でも住む場所を案内してもらった。

街の雰囲気は閑散としており、人通りも少なめ。
最初は「怖い」と感じたが、ガイドの彼が温かく迎えてくれ、非常にわかりやすい英語で説明をしてくれた。
 

どうしよう、名前忘れちゃった。彼はこの町で生まれ、この町で育ったらしい。そして毎日、街を代表して観光客のアテンドをしているらしい。いわばこの街の名士だ。
 

バラッグ街。ご近所さんたちが雑談している。東京ではこんな風景が見られなくなってしまったなあ。
 

 
彼はここで私たちにクイズを出した。
「この一棟に何家族住んでいると思うか?」
(上の画像参照)

私は多く見積もって12家族と答えた。日本の感覚だとせいぜい4家族だろう。
 

 (答えは下にあります。)

答えは「64家族」という。

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散策を続ける。非常に狭い家が立ち並んでいる。

共同のシャワー室。毎日入れているのだろうか。
 
不衛生な浴場や台所、十分ではない食事。

平日の昼間に訪れたが、小学生くらいの子どもが家から顔を出していた。ガイドの彼は、幼稚園〜中学校までは授業料が無償と言っていたが本当に全ての子どもの、学校に行ける環境が整っているかは定かではない。
 
 

なんとかアルミ板で継ぎ接ぎした外壁。寒さや暑さ、雨風を防げているのだろうか。

 

・結局は格差社会なんだ

アパルトヘイトは終わったはずだった。
でも社会構造がひっくり返ることはなかった。

ケープタウンの街にはたくさん白人の南アフリカ人がいるし、道路も綺麗に舗装され、多くの娯楽施設がある。多くの日本人が「アフリカ」と聞いて連想するような街ではない。むしろヨーロッパと似た雰囲気がある。
 
でも、一歩街を進むと、黒人らが狭くて不衛生な街で「今日」を必死に生きていた。

格差大きすぎじゃん。
資本主義という体制をとっている以上、格差は0になるわけはないのだが、これはあまりにも…。(言葉につまる。)

それにしても、同じ「南アフリカ」という国に生まれたはず、同じ教育を受けられているはずなのに。
もう時代は2019年だというのに。

今も声を上げられない人々がいるのではないだろうか?

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ツアーの後半、街の幼稚園を訪問した。ここはその周辺に住む子どもたちが通う幼稚園で、無償らしい。

私の持つカメラを
見るなり、「撮って!撮って!」とお願いしてくる子たち。

輝く瞳から何かの強い意志を感じずにはいられない。
 
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その後、あるお宅にお邪魔した。
 

入り口
 

バラックの中で暮らす人々。
両親には地酒を振舞ってくださった。温かい気持ちになった。
 
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もしかしたら、資本主義経済を社会全体で推し進めていく中では富めるものものと貧しいものが生まれその格差が、子や孫に連鎖していくのは普通なことなのかもしれない。

この南アフリカで知った事実を美化したり、綺麗な言葉で片付けたりしようとは思わない。
帰国して1ヶ月間、色々と打開策を考えてみたがわからなかった。
 
彼らはスタートラインに立てないのだ。決して努力不足でも、怠惰なわけでもない。貧困は連鎖している。

自らの手に職をつけ、自立を目指す女性。新しい地元の産業をつくっている。

 

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ここまで読んでくださりありがとうございます。

南アフリカでは、久しぶりに自分の中の何か揺さぶられた気がしました。拙い文章ですが、その揺さぶりをみなさんに少しでも共有できたら幸いです。
また長々と書いたわりには、問題意識に対して全く打開策を導き出せていません。もし何か少しでもでも考えや思いがあれば気軽に連絡してくださいね!

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南アフリカは大変美しい景色と希望で溢れていた。でもやはりそこには光と影があった。

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・おまけ

南アで食べた美味しかったものを紹介します。
これもきっと一つの格差。私はたまたまこの国のこの家庭に生まれたというだけで享受できるんものなんだなあって思います。

天然のマグロ。日本で食べるマグロも美味しいけど、やつらは養殖みたいです。

このロブスター氏の10分後・・・↓↓

本当にうまいやつになってくれてありがとう。本当に本当に美味しい。(ちなみに結構いい値段する)

お肉は正義。

完。
               

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