見出し画像

看取りを経験する(その6 終)

朝からの雨、幸い私が家を出るタイミングでは雨粒が落ちておらず、速攻で駅に駆け込んで難を逃れました。かなりの運を使った気がします。

さて、……。

今回も以下の記事の続きである。そして、これで本稿は終わる予定。

一度看護師が止めたモニターの警告音は、ほどなく再開した。
ピリリリリ、ピリリリリ……いつまでも鳴り続ける。もう止めてもよくないかと思ったが、ちょっと考えて、これもやむを得ないと考えを変えた。

というのは、今はいわゆる心肺停止状態だと思い至ったから。昨今のニュース記事などでもよく使われる心肺停止という表現。これはすなわち医師の診断前の段階で使われている。

例えば「山で遭難して行方不明となっていた◯◯さんが、川の浅瀬で心肺停止状態で見つかった」という場合、医師が診断できていないからそのような表現になったのだろう。

目の前の母も、この点では同じ。従って、医師が診断を下すまではバイタルをチェックし続ける必要があり、だからモニターも点けたまま、よって警告音も鳴りっぱなしとなる。私はそう理解した。

姉家族が到着したのは、母が最初に脈拍0になってから1時間半弱経ってからのこと。それまでの時間で、私は母の傍らに座り警告音に囲まれながらコンビニで購入したおにぎりを食べていた。

これを不謹慎だと思われたかも知れない。でも、生きている者は腹が空く。そして、父の死の時の経験から、これから自由に食事ができなくなることを知っていた。やむを得ないものと理解されたい。

姉家族が到着、それをナースステーションに知らせると看護師は医師の予定を確認し、13:00頃に診断して頂くことになった。

実際に医師が来られたのは12:50頃。母の呼吸状態を見て停止しているのを確認し、聴診器を母に当てて心音を確認し、最後に両瞼を裏返して瞳孔の反射を確認した。この瞳孔の反射については、両瞼で4回ずつやっていたように記憶している。

そして医師はおもむろに我々家族に向かい
「呼吸も止まっており、心音が確認できず、瞳孔の反射もないことを確認しました。亡くなられておられると診断致します。死亡時刻は今の12:53とします。ご愁傷様です」
と言って一礼した。それを受けて我々も一礼する。我々は遺族となった。

医師が退出すると、残った看護師がモニターを操作して警告音が止まった。病室に静かさが戻る。看護師から葬儀社は決まっているのかと問われ「(父もお世話になった)六波羅会館にお願いする予定」と答えた。

そして、六波羅会館に電話をして搬送をお願いする。15:00頃になるとのことであったが、その間に病院側で洗体して頂いたり、最後に着せる浴衣も選ばせて頂いた。迅速に病院の会計がまとまって請求書を渡されたので支払いを行なったり、母方の親戚に電話をしたりとやることはあった。

六波羅会館の職員が病室前に到着、会館のストレッチャーを持参してきており、我々が病室から出ている間に母はそちらに移された。その後看護師に案内された我々は母と一緒に一般患者が利用できないエレベーターに案内され、地下の駐車場に直行、既に待機していた会館の車に母はストレッチャーごと載せられた。

死者は病院の出入り口から出ない、ということを思い出していた。

母を乗せた搬送車に私も同乗し、姉家族の車を伴って会館に無事到着した。

また喪主生活の始まりか……そう思いながら母の葬儀の打ち合わせの開始を待つこととなった。

(終)


読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。