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実家に別れを告げた日

昨晩はご性根抜きの法要を営み、その後不動産屋さんと打ち合わせをする等もあったので、実家に泊まりました。

さて、……。

今日は朝からざっと家の中を見て回った。実家の買い手が現れたとなれば、家の中の物を捨てるか持ち出すかが喫緊の課題となる。

私の場合、母が施設に移った後、見舞い等で帰省する度に少しずつ自室の物を整理していた。だから、改めて見るところはそれほどない。それでも、最後にこれはどうしようか? と思うものは出てくる。

基本は「これまで手元になくても困らなかったのだから捨てる」というスタンスである。だから、持って帰る決断をするハードルは高い。

思い出の品は、まさにそれなりの思い出を伴うもの。だからこそ捨てずにいたのだけど、それを手元に持ってきてどうするかまで考えねばならない。

少なくとも今は、過去に思いをはせて思い出に浸る生活はできない。そして、それは退職してもそうだと思っている。ぶっちゃけ、私はそういう過去を振り返る生き方は性に合わない。何かを新しいことにチャレンジしたいと考えるだろうから、思い出のものがあってもどうかなあと思ってしまう。

それに、長い人生の中で年齢という分母は毎年大きくなる一方、各年の占める割合は相対的に小さくなってゆく。しかも過去のものになる程、記憶の奥底に埋没しがちとなる。

それで日々生活できているし、普段その思い出について考えることもない。逆に言えば、その品が目に入ったから思い出が蘇るという条件関係になる。

実は、思い出が蘇るならまだマシで、かつてコツコツと整理していた際には「オレ、何でこんなものを持っているんだっけ?」というものもあった。そのような場合に必死に思い出す努力は時間のムダなので、捨てるのも即決であった。

何と言っても、今住んでいる家のスペースは有限。入りきらないものは手元に持っていられない。

そんなことを考えながら、仏壇の上半分と遺影・位牌は必須と判断、施設に設置した中型の液晶テレビや整理棚、物置にあった脚立、その他意外にトイレットペーパーや洗剤のストックがあったので、これらを持って帰ることにした。

いよいよ家を出る時に、恐らく実家に立ち入るのはこれが最後になるだろうと思うと、私のようなオジさんでも万感胸に迫るものはあった。でも、それもいずれは踏み越えなければならないものだと自分に言い聞かせて家を後にした。

不動産屋さん曰く「この家は旧建築基準で施工されていて、安心して住むためには耐震補強が必要。それにはかなりの費用が掛かるので、恐らく購入者は建て替えを選ぶと思う」とのこと。

敷地の測量が終わって引き渡せば、実家は解体される可能性が高い。でも、ここで生活していたわが家の営みは確かにあった。そのことをここに書き記しておく。

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