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過去の詩歌知識だけでは不満を感じた「光る君へ」第16回

今日はみるみるうちに天気が回復し、ピーカンに晴れました。そして暑くもなりましたね。オフィスではまだ4月なのに冷房を使用しました。我が家では、もう少し持ちこたえたいと思います。

さて、……。

毎週楽しみに観ている大河ドラマ「光る君へ」。第16回「華の影」では「香炉峰の雪」の故事が取り上げられた。

本件については、多くの方がnoteで記事を書かれている。私は枕草子自体は古文の授業で習ったものの、この故事については不知であった。

率直に言ってこの香炉峰の雪のやり取りは、それほどスゴいとは感じられなかった。定子と清少納言がそれぞれ白楽天の詩についての知識が豊富で、それを基に謎かけをした定子と即座に簾を上げて応えた清少納言の思い出話ではあるのだが。

謎かけをした定子はともかく、清少納言の答えには特にひねりもない。ただ知っている知識に基づいて動いただけ。それができただけでも立派なものなのだろうけれど、知識の上に何かを加えて新しいおかしさを生み出さないようでは真打ちにはなれない、というのが私の評価。これは厳しいだろうか。

高尚な漢詩を扱っているとそこで思考停止になってしまうのだけど、ラーメン二郎の発注作法を知っているのと大差ないように受け取ってしまう。

例えば「『簾をかかげて看る』ためにこちらでも簾をお上げします。でも都の冬は格別寒いのでお行儀が悪いですが『炭櫃を抱えて看る』のもありかと」とか白楽天の当時の生活を思い浮かべて「では布団を敷くところから始めませんと」というように。それに対して誰かが更に何かを言い出すことで、話は発展してゆく。

単なる知識の披露だけでは、そこで話が終わってしまう。見方によっては定子のボケに対しての清少納言のツッコミがあまりにも形通りだったとも受け取れる。

だからこの話の接ぎ穂が失われ、雪遊びをしましょうになったのではないかと考えてしまった。

チコちゃん流に言えば「つまんねえ奴だなあ」である。正解を言うだけだと大絶賛にはならない。時代的に無理だけど落語の“青菜”のようなくずしがあればよかったのに。

なお、この回では藤原道隆についても糖尿病を疑われる映像がいくつか出ている(酒好き、光をまぶしがる、水をやたら飲む等)。実際、道隆の寿命はもうそれほど長くはないのだけど、それを以て道隆の死因が糖尿病というのはちょっと違う。

糖尿病そのもので命を失う人はあまりいない。手足の壊死や失明はあり得るけど、基本は合併症で死ぬ人がほとんど。コロナ禍においても、糖尿病の人は抵抗力が下がっていて重篤化しやすいと言われていた。道隆もこの類いであろう。

道綱が「いい女」と評したまひろにあばたができないことを祈っている。

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