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介護〜相続の間で、家族の立ち位置はかなりゆらぐ②

今日は一転して寒くなりました。朝から雨が降っていて、もしかしたら雪か? と考えたりもしましたが、それはありませんでした。帰宅時は霧雨程度で済んだので、ホッとしています。

さて、……。

標題に関わり、前回以下の記事を書いた。

介護施設への入所、体調不良による病院への入院において、家族に対する信頼は厚い。手続を行うにあたり、特に公文書の提示は求められない。そして、ある意味で生殺与奪に関わる意思表示すら求められる。

正直なところ、これはちょっと行き過ぎではないかと感じている。何と言っても「成人は自ら意思決定することを周囲から期待されている。これが大原則」なのだから。本来は、本人の意思確認が必要なところ、その補完を家族がしているに過ぎない。

このことを突きつけられるのが、何らかの法的地位に基づく手続をしようとする時である。

③成年後見制度の利用時

法的地位に基づく手続を行う際には、成年後見制度の利用を考えねばならない。これは即ち施設の入所、入院時の家族意思の正統性が問われているように感じられる。

本件でありがちな具体例として「妻が認知症を患い夫が介護をしていたが、夫が他界したケース」が挙げられる。この場合、妻は相続人になるが、夫の財産を分け合うのだから子供たちとは利害が対立する関係になる。

そのため、認知症の程度にもよるが成年後見制度の利用が必要となる。そしてこのケースだと、家庭裁判所はほぼ間違いなく家族を後見人には選任しない。弁護士や司法書士等、登録された専門職を後見人にすることになる。これはやむを得ない。

ただ、一度成年後見制度を利用すると、基本的にその利用は終身となる。認知症が改善していない限り、成年後見人は常に必要になるからだ。しかもこれは有償である。

ここで、選任された成年後見人が結構やらかしてくれている。ぶっちゃけ専門職が財産を使い込む例が複数出てきているのだ。しかもそうなった時に、選任した家庭裁判所は何の責任も負わない。

我が家の場合、父の相続時に母の認知は正常であった。故にこのような問題に直面せずに済んだ。

でも、母が施設に入居したために空き家になった我が家を売ることを考えた際にこの制度について調べた結果、制度の利用を諦めて我が家をただ維持し続けることになった。誰も住まない家の維持でも、それなりの費用は掛かったのである。

④相続手続時

母が亡くなり、相続手続をする。この時には家族への信頼度が微妙になる。そもそも、家族の範囲を確定せねばならない。自分が知っている家族だけが神様から見てもそうなのかを確認する必要がある。

前妻の子は家族、実は認知した子がいた事実が死後に発覚することもある。認知すると子の戸籍上に父親の名前が記載され、法的な親子関係が認められるため、それらの「子」も含めた遺産分割協議が必要。

相続手続では故人の出生から死亡までの一連の戸籍謄本が求められるのは、これにより相続する家族の範囲が定まるからであり、その話し合い結果である遺産分割協議書の捺印の正当性を担保するものが印鑑証明書になる。

だから、こういう公的文書をそろえない限り家族として公的に認められない。家族であるという主張だけでは効果がない点で、家族としての信頼が下がるように感じた。

以上をまとめると、

  • 施設入所・入院時は家族への信頼度が高い、高いどころか生命維持の可否判断まで求めてくる。

  • 成年後見制度においては、その利用を躊躇するくらい家族への信頼度が低い。というか、低いからこの制度ができたとも言える。

  • 相続時においては、公的なお墨付きがない限り家族であっても正統性を主張できない。この点で信頼度は下がっている。

ということになる。

年老いた親の介護が始まった後では、直面するそれぞれのケース毎に家族への信頼度は上記のように変わる。統一性のないこと甚だしい。でも、それが現実であるので、これからの人は頭の片隅に置いて対応して欲しい。

お読み頂き、ありがとうございました。

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