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判断できる人に判断してもらう当たり前の大切さ

今日は綺麗に晴れました。毎日がこんなだったら気分ももっと晴れやかになると思います。残念ながら金曜日には雨の予報が出ていますが、まずは明日までの秋晴れを楽しみましょう。

さて、……。

忘れた頃に、と表現すると自分の想定外の誤解を招きそうだけど、先週の頭に母の入居する施設から電話があった。サチュレーション(血中酸素濃度)が(また)下がっているとのこと。

それで、その原因を調べるため入院させて検査を受けさせるかという相談が、施設側の架電の主旨であった。しかしそう問われても、私にも判断がつかない。

あくまでも医学にはズブの素人の感覚的な受け止めに加え、これまでの家族としての経験を合わせると、主な原因は加齢による呼吸機能の低下だと思われた。そうだとすると、言い方が悪いけど効果的な対応手段はないという身も蓋もないことになる。

もちろん、吸入器による酸素投与はある。でも、これは厳密には治療ではない。足りない酸素を補うだけでそれ以上の効果はない。やめたら元に戻ってしまう。

もっと言うと、私達人間は酸素吸入だけでは生命維持において不完全となることを忘れがち。実は、呼吸は酸素の取り入れに加えて体内の二酸化炭素の排出もセットでなければならないのだけど、高齢者の場合この二酸化炭素の排出機能も衰えていることが少なくない。酸素の投与だけでは限界が出てくる。

以上で書いたことは、私も母の介護に関わりながら少しずつ仕入れた知識に過ぎない。そのため体系性がない。加えて、医学の世界で常識なのかもわからない。

施設から電話を受けて話している間にざっと上で述べたことを頭の中でおさらいした後に、私が発した答えは「施設が提携している病院の先生の判断に従う」であった。これがパッとしないけど一番穏当かつ大事な結論だと思う。

素人があれこれ考えるのではなく、然るべき人間に判断してもらうことって自分のみならず関係する人間の納得性に大いに影響する。ぶっちゃけ、奇抜さや目新しさよりもオーソドックスが納得を得やすいのである。

昨今、やたらと「専門家は考え過ぎる」「素人の新鮮な感覚が大事」みたいな風潮が蔓延している。果ては「ボクの考える◯◯解決法」みたいな主張を流す人も多いけれど、それらのご意見ってちょっと時間をおいてもずっと残っているだろうか。

重要なことだからこそ軽々にその手の無責任な風説に乗ることなく、判断できる人にお願いすることは第一優先事項だと考える。

ちなみに、電話でのやり取りの後に施設は提携先の病院の医師に判断を仰ぎ、病院で改めて検査をする必要はないとの判断を得て、母は施設の居室内で数時間酸素投与を受けることでこれまでのところ小康を得ていることをご報告しておく。

お読み頂き、ありがとうございました。

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