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ほんの少しだけ誰かのためになれた時

抑うつと診断されて、
今は自分の存在意義だとか、どんな人間なのか、とか、

そんなことを確かめたくて色々な人に会うようにしている。

ひょっとしたら「危なかった」あのとき、
助けてくれた多くの友人が、心に安寧を与えてくれる。

28という歳になっても、存外自分自身というのは見えないもので、
当たり前だと思っていた感覚が人にとっては特殊で、

逆に自分ができなくて困難だと思うものが、
他人には容易にできてしまうこともある。

そんなことを、改まって友人と確認なんてすることは少ないから、

なんだか少し新鮮な気持ちになって、
生きていればいつでも新しい感情を手にするのだなと実感する。


嬉しいことには、こんなちゃらんぽらんでいい加減な小生が、
ある方の人生に大きく影響を与えていたということを、本人の口から聞かされたことだ。

ただ生きているだけだが、それが誰かの道程に一筋の光を与えていたとするならば、
これ以上に勝る喜びは無いだろう。

今の精神状態では、その言葉に涙を滲ませて深く感じ入ることが限界だが、
小生の無力さを感じ、もう少し、自分に力があればと考える。

それは、三年前に抱いていた感情と同じだ。

結局、三年経って自分は何も変わっていないのかもしれない。

まだ前向きになるには、少し時間がかかりそうだ。

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