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【アルビノの魚】 言葉が香る時

「僕はまだ、『他者』に出会っていないのかもしれません」

酔いさましのために見慣れた街を一駅分歩いている時分に、ふと彼に言われた一言だった。意識はあるもののしっかりと酔っていた自分はこの言葉を聞くまでほとんど彼の言葉は頭に入っていなかったし、どういう文脈でこの言葉が発せられたかなどは未だに思い出せない。傘をさすかささまいか、霧雨が火照った体をほんの少しばかり冷ます、しっとりとした梅雨の始まりの季節だったかと思う。

「それでは、今までに出会ってきた人は一体誰だったの?」

凡庸な返しだった。歩きながら煙草を一本取り出し、マッチで火をつけた。必死の余裕を取り繕ったが、主導権はまさに彼にあった。

「おそらく、僕の物語の登場人物だったんです。僕が配役をしたヒロインと、役者Aと、役者Bと」

「随分と、ご立派なお悩みだな」

それは大層立派な悩みであった。私が太宰なら、このような大仰な悩みを持った人間を一蹴するだろう。哲学をする学徒は、どこか皆思想的でロマン主義的である。「僕らが肉体を隔て、境界線を有する以上、それはもう他者だろう。身体が一種のコミュニケーションになるのなら、それはすでに媒介の存在を認めていることと同じだ」

「そういうことじゃないんです」

どんな私の返しにも動じず、既に用意されていたような言葉で強く、しかし静かに反発をした。依然として主導権は彼にあった。

「物語って、最初から結末が用意されていたら全く面白みがないんです。小説家は結末を最初に決めてからそこまでの道筋を書くとそれはとても退屈で陳腐な作品になると、とある評論家が言っていました」

その言説には聞き馴染みのあるものだった。おそらく、大学の講義の中で学んだものだろう。しかしそれが何の授業で教わったかは思い出せない。私の学生生活とは、そんなものだ。

気付けば大学三年生になっていた。二年越しに入ったこの早稲田大学。その大学生活は僕が想像する輝かしい何かからは程遠いように感じていた。そもそもその何かを求めて大学などに進んだわけではなく、信頼していた高校時代の先生に「早稲田の桜を共に見よう。」などという熱い言葉をかけられ、扇動されただけの話だ。しかしそれでも、一生でこれほど打ち込み、目に見える形で勝敗が決まる戦いを勝ち抜いて得た「合格」の先に見る景色がそれだけの対価に見合うものでなかったとしたら、と考えるとぞっとしない話である。何が、私にそこまで満足をさせ得ないのだろう。歩いてきた道を振り返りながら考え始めた。しかし酩酊状態の自分に考えられる頭はなく、すぐにそれを放棄した。右手の指先に挟まれた煙草を持つこと、しっかりと終電では帰ること。今の頭で考えられることはそれが精一杯だった。

「でも僕らが人生を全うし得る限り、何者かであり続けなければならないと思うんです」

幾つか行間があった。考え事をしている間に話は進んでいたようだ。

「だから、僕は」

彼の口を塞ぐようにキスをした。

「ハッピーバースデー」

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