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母への手紙

母へ

32回目の誕生日を無事迎えることができました。

誕生日は周囲から「おめでとう」と言われますが、実はわたしは今までピンと来たことがありません。もちろん、周囲に祝って頂ける日が年1回かならず訪れるというのは大変ありがたいことです。しかし、祝う理由が実はしっくり来ていませんでした。

なぜなら誕生日という日付は、母や父が生涯もっとも苦労した日のひとつ(近年の技術では必ずしも出産日が苦痛とはならないようですね)であり、わたし自身がなにかをした記憶はないからです。

そもそも人はいつから誕生日を祝うようになったのでしょうか?気になって調べてみました。

日本文化に大きな影響を与えた中国では、古代には誕生日を祝う風習はなかったようです。クリスマスと異なり孔子の誕生日を祝う風習はなく、そもそも孔子の誕生日が何月何日かということも孔子本人が著名人の子ではないこともあって定説がないそうです。

誕生日を祝う風習が中国で行われるようになったのは南北朝時代に北魏で皇帝の誕生日が祝われたのが記録に残る最古の例だそうです。(そういえば、わたしの好きな三国時代で誕生日の話が出てくることは一切ありませんね)

儒教では、自分の誕生日は母親の命が危くなった日という考え方があり、「子生まれて母危く」と記されたことがあるくらい、孝行者は自分の誕生日を祝わないとするそうです。この考え方はなんだかわたし、共感しますね。おそらく母が命の危険を感じたのは4回で、息子3人を生んだ日と、乳がんを患ったときでしょう。

サウジアラビアなどアラビア半島諸国などでは戸籍に生年月日を記録する制度が完備されておらず、自分の生年月日や年齢を正確に把握できないまま成長する人が多いそうです。サウジアラビアのパスポートでは生年月日の記入は「任意」とされており、記載されていない人が大半。生年月日のない身分証明書というのは、日本国民からすると想像しづらいですね。

日本の特徴としては、高齢者が誕生日を迎えた際に、地方公共団体から祝い品などが届くことが挙げられていました。たしかに長寿の方が報道されたりすることはよく見ますね。企業でも、勤続年数や定年でお祝いする風習がありますが、これも「お祝い」と捉えるのは日本らしいですし、「終身雇用」の良い面だとわたしは認識してます。(「年功序列」と「終身雇用」は違うとわたしの尊敬する北野唯我さんが言ってました)

わたしたちは生まれながらに人生というワークに終身雇用されているようなものですから、節目節目をお祝いするというのは、感謝を忘れないという意味ではよい機能かもしれません。
一方で、儒教の「子生まれて母危く」の考え方が、ファクトベースでいえば頷く考え方でした。ですので、これからは誕生日を、母の無事をお祝いし、産んで頂いたことを感謝する日として、敬愛を示させて頂こうと思います。

そんな想いをなぜここに書くか?私の場合はアウトプットの場を用意することでインプットとスループットが始まるからです。母への想いを整理することができました。(これをメールで送りますね)

母へ、32回目の誕生日をありがとうございました。
母の無事と今後の健康をお祈りしてます。

りく


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