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「季節はめぐる 希望はつづく」 『(500)日のサマー』

※この文章は映画のネタバレを含みます 『(500)日のサマー』は、夏のラブストーリーではない。サマーという女の子に恋した男の子の、約一年半にわたる片思いと成長の物語だ。 トムはギフトカードなどの文言を作る会社(どんな会社?と思われると思うが、まあそういう会社なのだ)に勤めている。ザ・スミスなんかのロックを聞くのが好きで、小さい頃から運命の女性に巡り合えないと幸せになれないと(ちょっと強迫観念的だが)思って生きてきた。 そのトムのオフィスに社長のアシスタントとしてある日や

    • 「学び続けなければいけない時代に学ぶことを学ぶ」 落合陽一『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』

      本書はタイトルにもあるように「人生100年時代における学び」について扱った本である。3部構成になっていて、第一章ではまず「なぜ学び続けなくてはならないのか?」という問いに幼児教育から生涯学習まで13のQ&Aを設けて多面的に考えていく。「特定の勉強の内容そのものよりも、勉強し続けることを止めないことの方が重要」「人間の能力の差の大部分は、経験によってもたらされる」「ロジックでは解決できない佇まいで判断する能力を研ぎ澄ませて」など、教育というよりも自分の学びについて改めて確認して

      • 「ソラリスとしてのコロナ」 福嶋亮大『感染症としての文学と哲学』

        福嶋亮大さんは宇野常寛さんが今最も信頼する同世代の批評家です。この前『ドライブ・マイ・カー』について、コメントも一切読まずに約2時間えんえん二人だけで語り続けるという、若干狂気的な放送をしていましたが、話は日本映画の系譜、昨今のハリウッド映画のモチーフの喪失、村上春樹、陰謀論と、これ以上ないほど知的刺激に溢れていてとてもよかったです。 この本で福嶋さんは今回のこのパンデミックを機に、「哲学と文学と疫病の関係性」を西洋文学と哲学をもとに描き出しています。時代に即したテーマを

        • 「「本を読む娼婦」が教えてくれたこと」 鈴木涼美『娼婦の本棚』

          本作は僕が最近ハマっている鈴木涼美さんの書評集である。 と書いてある通り、これは鈴木さんが自分と似たような女の子に向けて作ったブックガイドでもある。でも、意外と一番読んで効用があるのは、僕も含めた二〇歳くらいの男性かもしれない。なぜなら、ここには「いやあ、僕ではそうは読めなかったなぁ」と感心するほかない鮮やかな切り口があり、「え、女性って本当はそうだったんですか?」と女性から見たら間抜けであろう驚きを隠せない世界の反対側の真実があり、「媚びて承認を求めないと生きていけないっ

        「季節はめぐる 希望はつづく」 『(500)日のサマー』

        • 「学び続けなければいけない時代に学ぶことを学ぶ」 落合陽一『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』

        • 「ソラリスとしてのコロナ」 福嶋亮大『感染症としての文学と哲学』

        • 「「本を読む娼婦」が教えてくれたこと」 鈴木涼美『娼婦の本棚』

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          13本

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          「凛としていてお茶目。爽やかでいて泥臭い」 碓井広義編『少しくらいの嘘は大目に 向田邦子の言葉』

          やっぱり、人間はだらしないくらいがちょうどいいのかもしれない。生産性はあくまでも指標であって正義ではない。理想よりも実態の方に、爽やかな合理性よりも慣れ親しんだ非合理性の方に。そこにこそ人間の「素顔の幸福」はあるーーー、向田邦子はそう確信していた人である。 だが、向田邦子、といっても今では知らない人も多いと思われる(もしかすると国語便覧で見て綺麗な人だな、ということで覚えている人があるかもしれない)。 簡単に説明すると、彼女は昭和のTVドラマの名脚本家だ。『寺内貫太郎一家』

          「凛としていてお茶目。爽やかでいて泥臭い」 碓井広義編『少しくらいの嘘は大目に 向田邦子の言葉』

          「"生きているだけで価値がある"ということの計算機科学的証明」 森田真生『計算する生命』

          前作『数学する身体』が、数学という学問にひそんだ身体の声を聴き取っていくような一冊だったとすれば、今作『計算する生命』は、計算という概念にいかに生命が吹き込まれてきたかをめぐる一冊である。ここからわかるのは「計算」という概念が所与の概念ではなく、いかに歴史によって形成されてきた概念であるかということ。第一章から第三章を使って、僕らはユークリッドからデカルト、リーマン、フレーゲ、チューリングらがどのようにそれを成し遂げてきたのか、どのように苦闘してきたのかを追体験する。こんなに

          「"生きているだけで価値がある"ということの計算機科学的証明」 森田真生『計算する生命』

          「数学は身体というノイズと共にある」 森田真生『数学する身体』

          抽象の代名詞とも思われがちな数学のイメージを180度反転させ、身体や心こそが数学の基盤にあるというメッセージを確信を持って描き切った一冊。最初の「なぜ3以降の数字はどんな形式でも急に変化するのか」という問いに認知心理学をもって答えるところから、「人間が数学を抽象的に純粋化してきた歴史としての数学史」の記述をくぐり抜け、チューリングと岡潔を扱って人間の心にどうやって数学が迫っていくのかを具体的に思考し、最後は「情緒」や「風景」に豊かな一瞥を与えて巻を閉じる。数学の本なのに自然の

          「数学は身体というノイズと共にある」 森田真生『数学する身体』

          「よい方向へ向けた冒険の手引き」 チェ・スンボム『私は男でフェミニストです』

          ジェンダーやフェミニズムを考えることは、そのまま自分自身のことを考えることでもある。なぜならジェンダーは人のアイデンティティを大きく規定している要素であり、フェミニズムとはその問い直しのことだからだ。自分が自分であることを問い直すこと、それがジェンダーやフェミニズムについて学び、考えるということである。つまり、ジェンダー学そしてフェミニズムは「自分学」にほかならない。それは時に、自分の安定した日々の生活の足場がガラガラと音を立てて崩れ、見たくなかった自分を突きつけられる経験で

          「よい方向へ向けた冒険の手引き」 チェ・スンボム『私は男でフェミニストです』

          「世界は見方次第でどこまでも豊かになりうる」 宇野常寛『水曜日は働かない』

          このことの意味が、最初はよくわからなかった。事実としてはたしかにそうだし、なんなら僕も昔から水曜日さえ乗り切れれば一週間ももう折り返しだと思って生きてきた人間だったので、そこを休みにすればそれはさぞいいだろうと、そのくらいに捉えていた。しかし、これは週休3日制にするにしても3連休だとちょっとだれちゃうからここは思い切って週の真ん中に導入してみたらどうでしょうか、というような類の提案では全くない。これは僕らが灰色の目をした大人にならないための、自分の人生を自分の物語として主体的

          「世界は見方次第でどこまでも豊かになりうる」 宇野常寛『水曜日は働かない』

          「恋愛は主義ではなく化学」 綿矢りさ『生のみ生のままで』

          「恋愛の原子」というものがもしあるなら、それは相手を恋しく思い、相手のために何かしたいと思う心だろう。恋する人はその身体のなかにエゴイズムを満々に湛えながらも、それが相手を傷つけないよう精一杯の身ぶりでその溢れる思いを水路づけようとする。その葛藤するさまは、ときに神々しくすらある。恋愛というものが非常に危ないバランスの上でしか成り立たないものであるにもかかわらず人を惹きつけてやまないのは、単に生物的な欲求以上のものがそこにあるからではないだろうか。恋愛には、普段の生活では滅多

          「恋愛は主義ではなく化学」 綿矢りさ『生のみ生のままで』

          「ウルトラマンが象った戦後日本」 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』

          ※この文章は2022年5月15日くらいに執筆しました。 5/13に『シン・ウルトラマン』が公開になった。庵野&樋口のタッグは『シン・ゴジラ』で「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」のキャッチコピーのもと、首都東京にゴジラを出現させ、ありうべき政治的シュミレーションを行ってみせたが、今作では何を見せてくれるのだろうか。今回も政治的シュミレーション?いやいや今回は「空想と浪漫、そして、友情」というキャッチコピーと公開されている予告編から推理するに、もっとSF的な空想やウルトラマン

          「ウルトラマンが象った戦後日本」 福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』

          「数学の神もイシューアナリシス」 シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド』

          この本は純粋数学やゲーム理論の分野で多大な貢献をした数学者、ジョン・ナッシュの伝記です。彼は現在電波オークションからビジネスのミクロな現場まで様々な場面で応用されているゲーム理論の重要な概念「ナッシュ均衡」を定式化した業績で1994年にノーベル経済学賞を受賞しているのですが、その論文が書かれたのは20代のはじめであったにもかかわらず、受賞した時すでに彼は70歳近くになっていました。というのも、彼は「精神のガン」とも言われる妄想型精神分裂病を30代に差し掛かる頃に発症し、そこか

          「数学の神もイシューアナリシス」 シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド』

          「美貌も火傷も気だるい朝も」 鈴木涼美『ギフテッド』

          この小説は母と娘をめぐる物語で、作者は元AV女優にしてSFC卒、東大で社会学専攻でAV女優の自由意志をテーマに修士論文を書いている。夜の街に勤めたこともあれば、新聞社で働いていたこともあるという異色の経歴の持ち主だ。自然、世の中の明るくてきっちりしているところから薄暗くて気色悪いところまで見てきている。そんな方なので、さぞ書かれる小説は鋭く鮮烈なものなのだろうと勝手に思っていたのだけれど、この『ギフテッド』ははじめに述べた通り母と娘の物語で、でも毒親の話とかではない。ただただ

          「美貌も火傷も気だるい朝も」 鈴木涼美『ギフテッド』