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魂の成長って、なに?

魂の成長って、いったい何なんだろう?

よく聞くのが、私たちがこの地球に生まれてくる目的は魂を成長させるため、というもの。
輪廻転生を繰り返し、魂を成長させていくのだと。人によって魂の成長レベルが異なるとか。
だから実年齢というか肉体的な年齢とは関係なく、様々な体験を通して魂をどれだけ磨いてきたかという魂年齢という概念もある。

実は私は最近、この魂の成長度合いについての所説に疑問を持ち始めた。
その疑問を一言で表すなら、成長という概念の捉え方が地球的というか人間的だなぁ、と。

聞いてると、魂の成長や魂年齢=精神性の高さや精神年齢みたいな。
そんな感じを受ける。

たしかに魂は成長を望んでいると思う。そこに異論はない。
成長・拡大が、魂そして魂の故郷の源と呼ばれるものの望み。
望みというよりは真髄なのかなと思う。

ただ、肉体に宿った魂自体に優劣があるんだろうか?という疑問。

魂や源が望んでいる成長って、きっと様々な体験をして色とりどりの感情を感じること。
その体験には正誤善悪といった二元的な分類は存在せず、言葉通りすべての体験を指す。
徳を積むことも他人を深く傷つけることも同等の体験とみなす。そこには倫理や良心という概念はない。
とにかく色んな体験を味わいたいのだ。

清純派役ばかりだった俳優が、たまには極悪非道人を演じてみたいと望むのと同じようなものなのかな。

今世、人間として生を受けるにあたり、きっと「今回はこのくらいの精神性の持ち主でいこう!」などと選んで決めてきていると思う。
人間界で表す精神性の高さ低さや成熟度は、単なるその人の設定なんじゃないだろうか。
魂そのものはみんな高次元。そこに優劣はないと思う。

この地球で愛を体現できる人は高尚で、悪に染まる人は卑劣。
人間的視点だとそうなるけど、魂的視点ではどちらも体験に過ぎずそこにジャッジは挟まない。
そう考えると宗教と呼ばれるものの多くも、どちらかといえば人間的視点で軽くジャッジを入れているような…。


自分の魂レベルは高いと主張する人や選民意識の高い人を見かけると思う。
魂にまで優劣を持ち込まんでも…。

他より優れている自分。
その裏には、他より劣っていない自分を証明したいという欲。

もちろん、私にもある。
(無いなんて、とても言えなーい汗)

それがある意味人間的でもあり、きっと「そんな”人間自分”でスタートしてみよう!」と設定してきたんだろう。
めでたくこの人生内で他と比較しない自己肯定感を獲得したいけどね。

それもまた、ひとつの体験。魂の成長。
できなくてくやしがっても、それもまた、ひとつの体験。魂の成長。


あーだこーだ綴ってきたけど、私個人が感じたことであり、魂の成長に関する所説のどれが正しいかには言及しないし、どれが正しいかも分からない。
視座を遥か彼方にまで上げれば、どれも正しいとなっちゃうんでしょう。


ということで、とりあえず今の私の考えをまとめてみる。
(あくまで今の。今後変わる可能性も大いにあるw)

魂そのものの状態に優劣のレベルはないと思う。




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