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人と人との間でできた傷は、人と人との間で癒される

人に言われた一言が、胸の真ん中に刺さり続けてた。1年前のもの、2年前のもの、3年前のもの。長い間刺しすぎて、錆びてる釘みたい。私はその錆びた釘を抜きたい抜きたいと思って、同時に、抜き方がわからなかった。抜くってことは、確かめるってこと。「こう聞いたのですが、これは、本当ですか?」そう聞いて、もし、「はい、本当です」と答えが返ってきたら、立ち直れないんじゃないかと思って、刺したまま痛い痛いと言っていた。

それを引っこ抜いた。もっともっと血が出てくるのかと思ったら、血が出ないどころか、あっという間に傷なんて見えなく感じなくなってしまった。

傷が治っちゃった後は、熱が下がった日の朝みたいだった。清々しくて風が吹いてるみたい。わあ、これは一体、なんなんだ!こんなに清々しいなんて!と、感動の時間だった。過去が変わった。これで新しい物語が始まるのだ、すごいなあと思っていた。

そこでふと考えた。
なんで傷がジュクジュクし続けてたんだろう。

私は自然といるのが好き。木々に触れて、葉っぱに触れて、小さな虫や鳥を眺めて、そうやっているとき私は私を十分に感じられる。そのときわたしは力が湧いてくるし、元気になるし、癒されたってこういうことだな!と、思う。たっぷり癒してもらってるからもう大丈夫なはずなのにと思ってた。

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自然に癒されても、傷は治りはしなかったんだ。

自然とともにいて元気をもらったわたしは今回、行動をした。そしたら治った。自分と、人と、向き合った。どんなことも見ると決めて、全部を体験すると決めて、そうした。そしたら傷ジュクジュクとかさぶたを過ぎてただの傷跡になった。

人と人との間でできた傷は、人と人との間でのみ癒されるということが、わかった。

自然の中では人は傷つかないし、人は自然を感じると癒され、元気が出る。だけど1人でそれをやっていても傷は傷のまま。物語はその傷が癒えてない続きの物語になる。この傷があるのは仕方ない、と思っていたんだけど、そうじゃなかったんだと驚いてる。

人を動かすのは人なんだ。わたしが行動を起こせたのは、自然がそばにいてくれたからだし、人がわたしに波紋を投げ続けてくれたから。わたしは一人では生きてないってそういう意味ね。自然がいてくれるから私を感じられて、人がいてくれるから傷ついてたりもするけどだから越えたり成長したりできる。その都度私は地球に何か恩返しができる私になっていく気がする。私たち人間が命としてまるく元気になると、地球も青く丸くなるに違いないって思う。なんてチームプレイができるんだ地球と人間って。

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私たちは人間。人と人の間で生きていく。
私たちは人間。地球の上で生きている。
みんなで一緒に生きていきたいよね。

そしてよーくわかったんだけど、私には大好きな人たちがいるのと同時に、もう関わらなくていいなと思う人たちがいる。それでいいのだ。私がどれだけ嫌っても許さなくても、どうせユニバースと地球は全部を許してる。親しくなると熱心に大好きになる性質で、おせっかいおかんのごとく愛してケアしてサポートしたくなちゃう厄介な性格なので、やっぱりあんまりたくさんの人には関われない。狭い輪を深く潜って、ぐるぐる踊っていきていこう。そこから先がもっと広くなるのを知ってる。

満月明けの雨豊かな日。私は大事な人とベトナムフレンチを食べにいく。みんなは何して過ごしてますか。今日も良い一日をね。

平田里菜


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