白いページを眺めている
【文字数:約1,100文字】
これといって取り上げたい事柄がないまま、キーボードを叩きたくなって書き始めた。
紙の日記でも同じようにペンを持ってみて、そろそろ冬服をしまおうか、などと書き出して1ページ消費するなど、とりあえず始めてみると続いたりする。
もちろん「〇〇について書こう」と決め、頭の中で組み立てた文章を形にしていくのは面白く、例えるならブロックを積み上げていくようだ。
一方、この記事は漠然としたものに形を与える行為であり、砂を固めて城を作るのと似ているかもしれない。
子供の頃の私はブロック遊びが好きで、それはもう集団行動が苦手な扱いにくい子供だった。
おかげで現在に続く自分が出来あがり、その先端が今こうして益体のない文章を書いている有象無象というわけだ。
自らを卑下して自己評価を低くする行為は、あまり建設的でないと聞くけれど、けっこう私は嫌いじゃない。むしろ好きだ。
反対に「私はスゴい!」と自己暗示に頼っていた時期は、おそらく薬物中毒のように繰り返す必要があり、だんだんと効き目も薄まっていくからオススメしない。
そんなどうでもいいことを書いていたら、いつの間にか500字に達した。
最近は人と話した事柄を元にして、ひさしぶりに小説として仕上げたいと考えていたりする。
過去に10万字くらいの長編に分類されるものを書き、1つの区切りをつけたと思っていたけれど、数週間、数ヵ月をかけて形にしてみたい願望が湧き始めた。
noteの記事や短歌、詩は短距離走に近い良さがある。
長編は設定を考えないと続かないし、中途半端に終わると傷になって長く痛むリスクがあり、それほどコスパのいい趣味ではないと思う。
ただ、このまま生きているだけに終わるかもしれない人生において、何かしら形にできたと自信を持てることは、今現在の自分が証明している。
他人にとっては意味のない、くだらない、どうでもいい、みっともない、バカげているものであるとしても、自分が納得できるのなら価値はある。
誰かに貢献することが仕事の価値を決めるなら、きっとそれは仕事と呼べない児戯に等しい。
でも私は自分が価値を見出したものを大切に、拙い言葉を弄して足りない頭を嘲りながら、少しでも自らの内側にあるものを形にしたい。
何かをしたいと願うのは容易く、実現するのには困難を伴う。
こうして駄文を並べることでさえ実現の一部であるなら、いくらでも文字を打とう。
音の連なりを曲と呼んだ始めの作曲家のように、文字の並びに意味を見出せる人間でありたい。
なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?