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そして かがやく ウルトラモブ

【文字数:約1,000文字】

 ゆ~め~じゃない あれもこれも~

 外出中にB'zの「ultra soul」が聴こえたので、曲の出所を探してみると小学校の運動会をやっているらしい。

 そのて~でドアを あけましょう~

 子供たちの頭上を飛び交う紅白から、定番競技の玉入れをしているようだ。

 しゅ~くふくが~ ほしいのなら~

 入れる網は上を向いており、山なりに投げられた紅白の多くが外れてしまう。

 かなし~みをしり ひとりでな~きましょう~

 投げられて落ちていく光景は、まるで人間に課せられた宿命であるかのようにも映る。

 そして~かがや~く ウルトラソウル!(ハイ!)

 曲が終わり、その後に入った玉を得点にしないようアナウンスされ、ひどく物寂しい気持ちにさせられた。

 輝いていた時間の終焉によりモブになってしまう私たちは、勝利という網に向かって自分を投げる。

 すべてが得点に変わることはなく、多くの犠牲の上に成り立つ図式を競技という形を取って、無意識に教えるのが玉入れだ。

 紅の網には紅の玉、白の網には白の玉が入らなければ得点にならず、この世界を蝕む非情さを体現している。

 そんなことを考えていたのは、通りすがりのモブに過ぎない。


 制作中の話は起承転結の4段階で表すなら、転のあたりまで進んだ。

 前にレビューした『プロだけが知っている小説の書き方』にて著者は、書き始める前に物語の各種設定を詰めておくタイプらしい。

 私も詰めてから書き始めたいと思いつつ、設定を考えるだけで疲れ切ってしまうのもイヤなので、ある程度まで固まったら書き始めてしまう。

 当然そうすると人物像がボヤけていたり、次の展開をどうするかで止まることがあり、ここ数日とくに進みが緩やかだ。

 主要な人物の名前や背景なども書きながら決めており、名無しのモブからよくここまで育ったものだと、どこか他人事のように感じている。

 でもそれは登場人物について完全ではないにせよ、独立した存在として認識している証拠だろう。

「このときの〇〇は、こう考えていたから動いた」とかを想像するのは、現実の人間とも共通している。

 好きでもない相手に近寄りたくないし、近寄るなら何かしらの理由がないと変なわけで、それらを考えていくと自然に物語が生まれる。

 モブでしかなかった彼らに物語を託し、私はそれをエッセイのように書いている。

 あらかじめ決めてある結末にならなくても、彼らが望んだものなら私は受け入れようと思う。

 そして~かがや~く ウルトラモブ!(ハイ!)




なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?