人生におけるほぼ一生分の○○
【文字数:約1,100文字】
ヘッダー画像にしたシャープペンの替え芯が残り少なく、新たに ↓ を購入した。
Pentel Ain ので、せっかくなら良い物をと選んでみたけれど、3本セットなので残る生涯をかけても使い切れるだろうか。
1ヶ月で1本を使うとして1ケース40本入りだから40ヵ月、それが3ケースあるなら120ヵ月となり、計算上は10年で使い切れる。
ただし、それは理想値なので伸びる可能性が高い。ましてやペンに拘るようになってからというもの、芯を折ることがなくなって減りも遅くなった。
今のも使い始めたのがいつなのか記憶になく、たぶん5年は経過しているだろう。
興味が湧いてPentelのサイトを調べたら、今のは1999~2010年までのモデルであり、購入したSTEINですら2010~2022年のモデルらしい。
いつから今のを使い始めたのか、真相を知りたいような知りたくないような。
それなら1ケースのバラ売りでいいじゃないかと思いきや、トリコロールの赤・白・青が気に入ってしまった。
試し書きした感じは別に変わらない気がするけど、ペン本体と同じく気分を上げるものは重要で、ムダに書きたくなる衝動がアイデアを生む、かもしれない。
もしかしたら一生分のシャープペン替え芯を手にした帰り道、「うれしい一生分の○○」について考えた。
やっぱり現金が一番だろうかと思いつつ、お金に少しの不足も感じないとしたら、それはそれで不幸かもしれない。
たとえば自由に使える1万円で何をしようかと考えて、あれこれ計画を頭に浮かべてみるのは楽しく、ムダにしないよう大事に使うだろう。
原田ひ香『三千円の使いかた』という作品もあるし、その内訳によって人となりが分かるような。
もちろん一生分の現金があったからといって、すぐさまムダに使うということはないだろうけれど、そもそも不足がないなら「ムダ」という概念が発生しないわけで。
ただ、一生分というのが寿命のある限り不足しない意味なのか、手に入れた時点で計算した「一生分」の意味なのかによっても変わってくる。
前者なら郊外にある庭付きの家を持ち、食べる分を賄う家庭菜園でもしながら暮らしたいけれど、後者だと物価変動によって価値が目減りする可能性が高い。
過去の記事で今から80年前、1943年の255円が現在の25万5千円に相当すると知った。
今現在においても物品の値段は上がっており、お金の価値は相対的に下がっている。
そして「一生分」の生活水準がどの程度なのかにより、働くことも視野に入る可能性があり、一定の所得を補償するベーシックインカムの概念に近いような。
そのようなアホみたいな妄想も、芯を新たにしたペンを使えば自在に書いてしまえるのだった。
なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?